ユネスコ「世界の記憶」国際登録 2024-2025登録サイクル

(2023年申請)

申請資料


ユネスコ「世界の記憶」国際登録 2022-2023登録サイクル(2021年申請)については、こちらをご覧ください。

ユネスコ「世界の記憶」国際登録 2022-2023登録サイクル(2021年申請) 申請資料


 「広島文学資料保全の会」と広島市が、共同で「世界の記憶」(国際登録)に申請した「グラウンド・ゼロの記憶―8月6日、被爆作家の記録」について、2023年11月28日付で文部科学省国際統括官付企画係(日本ユネスコ国内委員会事務局)より、「関係省庁連絡会議において、ユネスコへの推薦を行わない」との通知メールがありました。

 前々回の申請(2015年6月)や前回の申請(2021年10月)にはなかったことですが、今回は、以下のような[主な指摘事項]が付記されていました。

 

作家が限定されていることや世界的な文学的価値といった完全性や重要性等の観点から、

ユネスコが定めた選考基準を満たしていない。

 

 広島文学資料保全の会は、今日の世界情勢において、栗原貞子、原民喜、峠三吉、大田洋子らの原爆文学作品は一層重要性を増しており、被爆直後に彼らが書き残した、創作ノート、手帖、日記、メモ、自筆原稿などは「世界の記憶」にふさわしいと確信し、皆様の支援を得て3度にわたって申請してきました。しかしながら、制度上、ユネスコへの推薦は各国の国内ユネスコ委員会に委ねられており、日本国内ユネスコ委員会は原爆文学資料に関わる私共の申請を「世界的な文学的価値といった完全性・重要性において、選考基準を満たしていない」と判断したわけです。(その詳細は分かりません。)

 残念ですが、これ以上登録申請を続けても推薦されることはないと考えざるを得ません。2014年に開始してより約10年、皆様のご支援を得て提出した「世界の記憶」登録申請運動にはピリオドを打たねばなりません。私共の非力をお詫びする次第です。

 

〈いくつかの問題点〉

 

ご承知のように、日本国内ユネスコ委員会がユネスコに推薦したのは次の2件です。

 

① 増上寺が所蔵する三種の仏教聖典叢書(申請者:浄土宗、大本山増上寺):2021年に日本国内ユネスコより推薦されたものの、ユネスコで登録されなかった案件。再度の推薦。

② 広島原爆の視覚的資料―1945年の写真と映像(申請者:広島市、中国新聞社、朝日新聞社、毎日新聞社、中国放送、日本放送協会)

 

 広島における原爆被災について中国新聞社など報道機関が有する写真や映像がユネスコに推薦され、「世界の記憶」として登録される可能性が生じたことは、原爆文学資料の登録を目指した私共の願いにも通じるものであります。

 しかしながら、今回の申請にあたり「中国新聞社」が「広島文学資料保全の会」に対して行った理不尽な対応については、ご支援を賜った皆様には事実経過をご報告すべきと思い、要点のみですが書かせていただきます。

 

 6月27日、広島市、中国新聞社、広島文学資料保全の会の3者協議がもたれました。席上、中国新聞吉原東京支社長より、岸田首相との会見のメモ(2023年5月12日付)が配布されました。G7のインタビュー後のメモで、「弊社の岡畠社長のアイデアですが、被爆直後の写真とか手記とかを世界の記憶に登録するというムーブメントを起こして被爆80年の意義、レガシーとしたいのでぜひお力添えを、と述べたところ、首相から賛同を得た」といった内容でした。この提案を受けて、広島市が広島文学資料保全の会と中国新聞社を引き合わせ、原爆文学資料と被爆直後の報道写真を併せて「世界の記憶」に登録申請してはどうか、という3者協議の場が設定されたわけです。中国新聞社はかねてより、広島文学資料保全の会の活動や原爆文学資料の「世界の記憶」登録申請に好意的な記事を多数掲載してくれており、その中国新聞社と共同で申請できる、原爆文学資料と写真資料を併せて申請できる、ということで私共が喜び勇んだのは言うまでもありません。

 

 その後、中国新聞社から「参考にしたいので、これまで2回の申請書のファイルが欲しい」との要請があり、それに応えるとともに、申請書作成作業を中断して2回目の3者協議の開催を待っていました。ところが、7月18日に木ノ元編集局次長から電話がかかり、「広島文学資料保全の会とは共同申請しないことになった。」という一方的な決定の連絡があり驚愕しました。7月26日には高本編集局長が謝罪したいとのことで一度会いましたが、やはり理由を示さず「社としての決定事項であり再考の余地はない、申し訳ない。」との一点張りでした。私共は「広島を代表する新聞社のすることか」と驚き、かつ呆れましたが、いかんとも仕方がありませんでした。

 

 8月28日の申請書締切後、中国新聞社が自らの申請書提出とその詳細について紙面では公表したのは9月16日で、18日には特大の特集記事を掲載し、「朝日新聞社、毎日新聞社、広島市と4者共同で1532点の写真を登録申請した」ことを私共も初めて知りました。

 しかし、11月28日に報道された推薦案件は、締切日時点での新聞3社、広島市に加え、中国放送、日本放送協会の6者から共同申請された1532点の写真と動画2点とのことで、またまた驚かされた次第です。

 

 「中国新聞」(2023年11月29日)によれば「審査委員会での意見も踏まえて動画を加え、中国放送、NHKが共同申請者となった」ということですが、これは問題だと思います。

 8月28日の申請書締切以後、まだ審査の過程で特定の案件について追加を求めるならば、当然、申請書は書き直されたはずです。そのようなことが許されるのでしょうか。

 

 審査委員会が特定の案件に「便宜をはかる」、それが公然と行われれば、審査の公平性は根底から覆ることになるのではないでしょうか。普通の言い方では「特別扱い」ということになるでしょう。中国新聞社はじめ報道機関などは、このような対応は、他の組織や団体以上に潔癖である(あるべき)と考えるものからすると、今回の事態はとうてい納得できるものではありません。

 

 もう一つの問題点は、申請案件の公募にあたって、どのような申請があったかを公表することは、審査・選考の透明性・公平性を担保するために最低限必要な情報だと思われますが、日本国内ユネスコ委員会は「5件の申請があった」と述べるのみで上記2件以外の申請について未だに公表していません。

 ユネスコ国際諮問委員会は2021年度からの新制度発足にあたり、審査プロセスの透明性、公平さを目指すとしており、このような日本国内ユネスコ委員会の秘密主義的な対応は、今後においても大いに問題があるというべきでしょう。

 

 以上、今回の申請に関わって私共が遭遇したいくつかの問題点について記しましたが、前述したように、「広島原爆の視覚的資料―1945年の写真と映像」がユネスコに推薦されたこと自体を批判しているわけではありません。誤解のないよう付言する次第です。

 

2023年12月13日

広島文学資料保全の会


ユネスコ「世界の記憶」とは?

 ユネスコ「世界の記憶」とは、世界的に重要な文書、絵画、フィルムなどの保存やアクセス促進を目的に、ユネスコが1992 年に始めた事業で、1995 年から登録が開始されました。「アンネ・フランクの日記」「ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調作品125(第九)の自筆譜」などが登録されており、日本からは「山本作兵衛炭坑記録画・記録文書」が2011 年に初登録されました。

選考基準についてはこちらのページをご覧ください。

ユネスコ「世界の記憶」 選考基準


申請資料

 今回申請する資料は、いずれも直接被爆した作家たちが後世に伝えようと、被爆した直後にその惨状を命がけで残したものであり、また作家たちの創作過程が伺える貴重なものです。彼らは戦前から創作活動を始めていましたが、 被爆体験を経て人類の未来に思いを馳せ、世界の平和と核兵器の廃絶を祈る作家となりました。