栗原貞子『あけくれの歌(創作ノート)』


内容:栗原貞子(1913〜2005)が1945年1月より詩の創作に用いたノートで、著名な詩編『生ましめん哉』の基となった『生ましめん哉 原子爆弾秘話』には1945年11月25日の日付が記されている。

所有者:学校法人広島女学院 理事長 中川日出男

管理者:広島市

寸法など

大きさ 縦18.0㎝×横25.0㎝

大学ノート・52ページ

万年筆による記載


 栗原貞子(1913〜2005)は、祇園町(現在の広島市安佐南区祇園町。爆心地から約4km。)の自宅で被爆。近所に住む人の娘を探しに爆心地の方へ行き、被爆の惨状を目の当たりにした。

 

 『生ましめん哉』が含まれるこの『あけくれの歌(創作ノート)』は、栗原が1945年1月より詩の創作に用いたノートで、著名な詩編『生ましめん哉 原子爆弾秘話』(18ページ)には1945年11月25日の日付が記されている。2007年に長女・眞理子氏から学校法人広島女学院に寄贈されたが、2016年、同法人から広島市に寄託されたため、現在は広島平和記念資料館に収蔵されている。

 

 『生ましめんかな』(現在は「生ましめんかな」とひらがな表記になっているが、この創作ノートには「生ましめん」と漢字で書いてある。)は、彼女の詩の中でも特に知られている作品で、10か国語で訳され教科書にも掲載され、多くの人によって読み継がれてきた。(前述とは別の)近所に住む人から聞いた話を基にしており、被爆から2日後の8月8日の夜、廃墟となったとある建物の地下室で赤ちゃんが生まれるというもの。死の灰と化し、自由もなく重苦しい社会の中で、自由と希望を持って生まれてきたこの新しい生命によって、どれだけの被爆者や遺族が勇気づけられたであろうか。

 

 1990年には第3回谷本清平和賞を受賞し、2005年に92歳で亡くなるまで、詩の創作や評論だけでなく、座り込みやデモにも積極的に参加し、生涯をかけて反戦反核を訴えつづけた。戦時中からその想いを綴っていた1冊であり、今日の核戦争の悲惨さを訴えている貴重な記録物といえる。

 

文:河口悠介(「広島文学資料保全の会」事務局次長、2021年10月)


(以下写真撮影:㈱共同企画)