峠三吉『被爆時の日記』
内容:峠三吉(1917〜1953)が1945年1月1日から11月19日に書き綴った日記。『原爆詩集』の中の主な作品群は、この時の体験と記録を基に、書き上げられたものである。
所有者:日本共産党中央委員会党史資料室 室長 岡宏輔
管理者:広島市
寸法など
大きさ 縦23.9㎝×横15.5㎝
大学ノート・134ページ
万年筆による記載
峠三吉(1917〜1953年)は、広島市翠町にあった長姉・嘉子の嫁ぎ先の三戸家で被爆。ガラスの破片で負傷した。被爆直後から、知人の安否を尋ねて原爆投下直後の広島市内を歩き回ったため、原爆症となった。
峠の死後、長兄・一夫氏が長く保管していたが、詩人・増岡敏和氏の強い要請を受け、2002年に日本共産党中央委員会に寄贈された。
ユネスコの「世界の記憶」への登録の促進とともに、核兵器のない世界を実現するために活用するため、2016年4月に「広島文学資料保全の会」及び遺族が党本部を訪れ、寄託を打診したところ、8月3日に『メモ~覚え書~感想』とともに広島市に寄託され、現在は広島平和記念資料館に収蔵されている。
日記は1945年1月1日から始まり、同年11月19日までのことが記されている。8月8日(90ページ)には、『原爆詩集』の中の『倉庫の記録』に登場している近所の戦争未亡人の河内(こうち)さん(作中では「K夫人」)が広島陸軍被服支廠に収容されていることを知り、見舞いに行ったが、同16日(96ページ)にも被服支廠に見舞いに行ったときには、すでに13日に死亡しており、このことについて、十分に看護することができず、臨終に付き添うことができなかったことを非常に悔いており、自分を「人一倍冷淡なる人間」「どこまでも冷淡になり得る人間」「その本性を人に感付かれはせぬかと何時も汲々たる人間」と猛烈に責めている。
『メモ~覚え書~感想』とともに、少年時代から病弱で入退院を繰り返していたこともあり、俳句や短歌だけでなく詩や小説をつくったり、音楽や絵画などにも関心を示すなど、文化的であった青年が、28歳で被爆したことで、6年後に日本の原爆文学を代表する『原爆詩集』を書くまでに変貌する様子を読み解くカギとなる資料といえる。
文:河口悠介(「広島文学資料保全の会」事務局次長、2021年10月)
(以下写真提供:広島平和記念資料館学芸課)
『被爆時の日記』の詳細
(八月四日 / 90ページ5行目~八月二十日 / 100ページ21行目)
以下の画像は、トヨタ財団2003年度市民活動助成プロジェクト「ヒロシマ文学館(仮称)の開設を目指した、原爆文学資料の電子化と英訳事業の実施」の一環として、『峠三吉被爆日記(写真版)』(池田正彦・松尾雅嗣(編) / 広島大学ひろしま平和コンソーシアム・広島文学資料保全の会 / 2004年12月出版)に収録したものです。また、書き起こし文は、それを元に池田正彦氏が書き起こし、河口悠介氏が補筆したものです。可能な限り峠の直筆に忠実に書き起こしています。
八月四日 快晴 終日風心地よく吹く、姉は糸崎へゆく。
老父が一人で台所をやってくれるので余は楽。
八月五日 晴 ひる頃より油絵を出し南の
窓より風景を写生す。自画像を描かむと
し居たるなれど、藍碧の空や地の緑の光りを
ながめゐると急に風景がかきたくなりしなり。
夕方少し咳嗽発作を起し夜発熱す。
夜半に至るまで敵機の行動しきりにして、
八月五日広島を灰燼にすとの敵宣伝を効果
あらしむ如くいかにもわが市に向ふがごとく、遂には
宇部を爆擊せり、熱を押して用意を整う。
八月六日 今日こそは気胸を果さむとて
朝食を早めに済せ家を出でむと二階にて
用意を整へありし時(午前八時過頃)急にあた
りの気配の異様なるを感じ眼をやれば
处の面に白光たちこめ二階より見ゆる。
畑や家並みの其処/\より音なく火焔閃めき
白煙の斜めに立昇るが瞬間眼に映りぬ。
焼夷彈だと叫び上衣をひっかけたとたん猛然と
家振動し窓硝子微塵に飛び天井裂け落ち片々身に降り
かヽる。爆彈だとかたはらの頼雄(※1)を伏せしめ
その上に布團を掛けやる。その時最早や
(※1)頼雄:姉の長男
轟炸の瞬間は過ぎゐしなり。
後続の模様無ければとやヽ気を安らかせ、頼雄を気使
ひ昇りきし姉より先に壁土にて埋りたる階段を降り
て父を呼べば父は壕より出て来ぬ。剪額に拳大の腫れあり
その頂上より血流れ居れど大した事もなき模様。
余の額よりも血の濃く一筋流れあるを云はれて知りぬ。
階下も踏み越ゆるに困難な程吹き飛びし建具の上に折重
なりてピアノ其他の家具打ち倒れ惨膽さる有様。
附近の兵士分宿所の剪にて応急手当を為しゐると聞き
て直ちに父を連れゆき繃帯を巻きもらふ。
その頃まで未だ敵の盲彈が翠町附近に落下したる
ものと思ひ居りしが、町の方を望むに煙雲とみに烈しく
空を蔽ひ次第に大火の様子さへ望見さるヽに至りし為
都心部も容易ならぬ災害を罹りある事を知る。
三々伍々、全身ズル/\に剥けたる
火傷者の裸体にて逃れ
来るあり、タン架にて運ばれ来るあり。
大河方面へ避難する者相つぎて通る。
夕方近く専売局前の臨時宇品警察所へ行きて
列に並び罹災証明を受け乾パンの配給を受く。
トラックにて運ばれ来る負傷者夛し、負傷せざるもの、
姿少なし。
夜、家焼失せる為泊りに来りし住友支店長岩田夫人
達の口より電鉄剪附近より彼方は火の海にして
町なかは死屍と瀕死の苦悶者とに満つるといふ。嘗て罹災
せる各大都市にも見ざる惨状を聞く。
敵は新兵器を使用せり、夛分ロケット爆彈ならむ
などヽの噂つたはりぬ。硝子の破片を極力片付けて
応接間に假眠す。夜迫りてみゆる火焔(部屋の中
迄明るむ)や不明確な空襲警報などに度々起さる。
八月七日 晴
終日家族各自階下のあと片付に働く。
天井などの落つるものを落し壁土と共に
細かに飛散せる硝子片は食物の中に迄
混入し歯に当る。
木片は取除くに易けれど剪者は掃けども
掃けども盡きず。家の内なほ靴のまヽ歩
くより仕方なし。
八月八日 晴
気に掛りゐたる河内さん(※2)を朝食剪訪ねしが
従姉なる人その家にありて彼女は運悪く当日
勤労奉仕の為市廳舍の裏手あたりに
出勤しありて爆擊の為負傷し、現在被服廠
に収容中との事を聞く。
尚ほ三木の兄さんも舟入病院にありて生死
不明とのこと、直ちに砂糖水など作りて
河内さんを見舞ふ。
閃光に焼かれたる蓮畑の中を通りて同廠に
たどり着けば正門につめかくる不安気の人々
他にも夛くあり。暫く待たされたる後先づ
重傷者の病棟よりと案内さる。
炎熱の構内を横切りて假りの病棟となれる
コンクリートの大倉庫に案内され、
(※2)河内さん:近所に住む女性。『原爆詩集』の中の『倉庫の記録』では、「K夫人」として登場している。
心を定めて収容所たる階上に足を踏み入れたる
時の光景は終生忘れ得ず、又忘るべからざるもの
なりき。
鉄格子の高窓より僅かに入る光りに冷え/\と
暗き倉庫内、広いコンクリートの床に毛布を
ぢかに敷きてその上に向き/\に横はれる半裸の
火傷患者のその半ばは旣に動かざる死屍と化す。
被服の香と屍のにほひと薬品と入り混りたる異臭あた
りに満ち、巨大な柱の陰や片隅の暗みには糞便床に
流れ、彼方此方より家族の名を呼び助けを求む
る声、水を欲する声、泣き叫ぶ声、起りては絶え
絶えては重り起り、広い庫内に反響して止まず。
僅かに破れた猿又をまとひ汚れし繃帯と、塗付せる薬品
と砂と泥と火傷の赤剥けとにて顔面より全身直視するに
耐へぬ汚穢な形相と変じ振り乱したる髪のまヽ
裸足を抛り出し横はるは殆んど女ばかりにして又注意
してみれば殆んどが女学生なりしものヽ如きも無惨な
りき。
河内さんは階段を上りつめた所に横はる。枕に頬を
つけたまヽ細き眼を動して余を見上げゐしがやがて
細き声にて余が名を呼ぶ。 立止りたるまヽその変
貌せる面に或ひは?……との眼を注ぎゐたる余も
それにてそを確認す。
それより十一時頃迄負傷の様子を聞いたり簡單に
慰めたり、手を把って部屋隅の便槽に連行したり、
託されし救護鞄の中味を被露したり
又彼女が眼を閉じある間に附近の水を求むる火傷
者達の唇に水を注いで廻ったりする。
一人に注いでやればあちこちより夛くの者叫び呼ぶ。
火傷に水悪しとて余 求むるほどにはやらず 心中
ひそかに己の心の冷淡になり得る事に愕く。
(一人の女生徒遠くより水筒を振りてこれに水を入れて来
てくれよ、と頼むをみしが余炎天下の遠き水のあり場所
迄行く体力をいとひ遂に応ぜず。この事のみは気に
掛りし為夕方もう一度行きたる時その少女のもとまで
往きみしが既に水を充分得たらしく睡りゐたれば
安堵して足を返しぬ)
帰る前に河内さんを比較的重態者の少い隣
室に移す。今迄の場所は頭上にも背後にも
旣に死体となれる患者ありて死臭濃し。
新しき毛布の上より今迄掛けてゐた毛布を持ちゆ
きて掛けやれば死臭ありとていとふ。
食慾進まず、粥でなく硬いめしなら食べられる
かもしれぬ、といふ故、急ぎ必要なるお丸と共に
夕方米を炊いて持って行ってみる。三さぢか四サじたべる。
暗くなりてより従妹来る。あとをそれに委せて別れ帰る。
暗黒の倉庫の階段を下る時反対側の高き手欄ごしに
その少女ローソクの灯を捧げて
おぼつかなき光りを送りくるヽ。
八月九日 晴 父上、死体のなほ散乱せる市中を
ぬけ徒歩にて高須の井上に行く。然して恭三さん
叔父さん悦子さんの三人当日来遂に帰らざるを知る。
午後河内さんを見舞夜闇の中を帰る。生命は
とりとめる如く思はる。
帰りてソ聯もわが国に宣戰を布告せる旨を知る。
遂に僅かに残れる理想も夢も捨て遠からず我らも
死する覚悟をする。
爆擊の惨苦の中に、灯も無き闇の中にソ聯との
開戰を聞かねばならぬ我々である。
八月十日 晴
余に嫁を持たせて家を持つといふ父の希望も諦めて
もらはねばならぬ。それがあらぬか、父、井上のことなどを
云ひて涙声出し給ふ。老ひては弱る心の無理もなし。
朝河内さんの家に行き昨日頼まれた衣類其他を
そろへかつぎ帰り、
家でとヽのへたるゲンノショーコ(※3)などと
共に収容所へ持ちゆく。下痢さらに烈しき様子。
発熱もあり、火傷部総て化膿す。
ゲンノショーコをローソクにて温めて飲ます。
新しく収容され来りし三木正氏を一号館に見舞ふ。
胸部より顔面にかけて無惨なる硝子破片創あり。
両眼の失明は免れず、意識は確かなりき。
それやこれやで夕方迄帰りそびてゐたれば、父呼びに
来て十日に広島の残部を爆擊するを敵が予告した
りとの報あれば何でも今夜のうちに家族一同糸崎
の病院に避難することヽしたれば早速に帰れといふ。
仕方なく共に帰る。
直ちに荷作りをする。老父のみならとも角、又いかに
頼雄をかヽえあるとも、夛少インテリなるべき姉が主と
なりてかヽるデマに踊ること不満に堪えねば自然
のろ/\と荷作りをなし旣に乗り遅れるべき時間に
(※3)ゲンノショーコ:フウロソウ、ネコグサとも呼ばれる。ドクダミ、センブリとともに日本の三大民間薬の一つで、止瀉作用があり、様々な下痢に用いられる。
家を出づ。老父の心情の為に余リユックを負ひ刀を
手に同行す。汽車は姉の時間の思ひ違ひにて一時間も
乗り遅れ、仕方なく引返す。
途次又空襲警報出づ。
八月十一日 晴 朝、父、姉、頼雄の三人を糸崎に
出発せしめて独り残る。いかに爆毄が怖くとも荷物を
放置散乱せしめたまヽ一家をあげて逃亡するなどまことに
見苦しき事なり。
爆擊を受くる迄は安易たる楽観に住し、
一度爆擊を受くるや
今度は競々として怖れ過ぐるに到るは衆人の常なり。
自分も人々も余はその傾向を押へむと努む。
下痢次第に烈し、河内さん達と同じ症状。
粘液便続いて出づ。
夜、宇品方面に火焔上り警防団焼夷攻擊を
叫びて走る。
高圧線の切れたるか六日に似たる光芒夜空に閃きたる
時は余も再び彼の新爆彈かと狼狽し裸足にて
壕へ走る。途中傾倒してしたヽか背を打つ。
八月十二日 晴
下痢止まず終日粥を炊いては食ひ臥床。
姉、食器をとりに帰り来り共に隣家の壕に泊る。
八月十三日 晴
下痢止まず。夕方市全薬局へ薬買ひにゆく。
薬店もひっくり返ったまヽ。
一人めしを炊きて食ひ、一人万年床に横たはれるは
のんびりとしてなか/\良し。鶏にえさをやる。
猫をも愛してやる。
八月十四日 晴 井上のこと気になる。河内さんの
方は夛分あれで大丈夫故今度は井上の方へ助けに
赴かむと(かヽる場合には生き残りたる者が負傷罹災者
の為に命ちをすりへらしても盡くすべきなりと思ふ)
辨当を作りて家を出づ。
三人帰らぬとてそのまヽに放置すべきに非ず。せめて
誰が収容所にでも収容されあらむか調べみるべきなり。
されど叔母上と身重の従妹ではそもまヽならぬべし。
往路、保養院(宇品)に寄りて下痢の薬をもらふ。
宇品の憲兵隊にて負傷者収容者名簿を調べる。
汽車にて広島駅に行き、其処より自動車をつかまへ
て己斐に赴く。廃墟と化せる市の変貌の甚しさ!
二葉山、茶臼連峰、山脈全体茶褐色に焦げたり。
非常の場合故彼の事件以来会はざる不文律となり
ある従妹とも会ふべくゆく。
叔母顔面黝く隈取られよろ/\と出て来る。慰めれば
二人共涙ぐむ。
二階に上り休息せば、靖子ちゃん泣く。
帰途己斐駅にてばったり天野君と会ふ。彼軽傷。
汽車にて七時過帰宅。
八月十五日 晴 戦災荷物の取扱ひは今日迄
なれば疲労に鞭打って父上の布団を荷作りし
乳母車にて下大河迄運び広島駅へ持参。発送す。
発送後嘗て三枡君の家のあったあたりを尋ねてみる。
焼跡の瓦礫の荒野の中にポッツリと一つのトタン小屋あり。
其処に彼女寝ねあり。殆んど死せるものと
思ひゐしに元気の
様子をみて安堵限りなし。
崩壊の下敷となり血まみれにて掘り出されたる由、
十一時の汽車にて帰宅。
昼食中父ひょっこり帰り来り、今駅で陛下御自身の
御放送に依る休戦の御诏勅を聞きたりといふ。
事の意外なるに暫し呆然たり。
惟情けなく口惜しき思ひに堪へず。
かくなる上は総ての財を捨て
山に籠り命ちをもいづれ捨つる
覚悟なりしを。午後天野宅にゆきてニュースを聞く。
八月十六日 晴 井上のために天野君より借りたる
自転車にて市役所、住友銀行、其他を廻り
負傷収容者名簿や死体名簿などを調査す。
これで市内外全部の収容者名を(当局にて判名せる)閲
覧した事となれど(約三千名位か)
遂に井上の三人の名、無し。
さればもはや調査の方法なし。
現場にて即死或は焼死せるものと諦めるの他なし。
遺骨も何もあらず。
左官町迄廻り帰途新橋、縣廳橋を経て三番小
路の跡をたづぬ。惨澹たり。松村でも誰、田中でも誰、
六本でも誰と殆んど死者を出さぬ家はなき模様。
田中の跡にはなお骨あり。又昔よくかけた電蓄の
モーター焼けてころがるをみる。
西応寺跡の墓地に参る。西隣りの酒倉のあとに陶器の
酒樽のみ二、三残存す。
縣病院、縣廳等跡方もなし。
さらに帰途車を押しゆく田畑青年に会い、高須に於ける
十日市の御二人(たけしさん、節子さん)の其後を訊ぬるに
死亡せる旨をきヽ驚く。
かく一時快方に向へる負傷者らの其後(原子爆弾の
特異なる作用により)続々と死にある模様なれば河内さん
も如何かと急に案じられ夕方被服廠へ自転車を
飛ばせしが、嘗て彼女の寝てゐた場所には異る人寝
ねあり。中村の小母さんといふ人より果して河内さんも
十三日の早暁死亡せる旨を告げらる。
噫! 今は惟心、事実を受入るのみ。
又、わが心盡しの足らざりしならずや
(かヽる場合相手が異性と
いうこと、又家人、父や姉の余ひとりを思ふ為の
精神的懸制
が根限りの看護の、誠意の制肘となる事の無念さ!)
余は人一倍冷淡なる人間、
どこまでも冷淡になり得る人間、
その本性を人に感付かれはせぬかと
何時も汲々たる人間、
このやうな思念が苦く胸にうごめく。
姉、頼雄と共に帰宅す。
鈴木内閣辞職す。 陸軍大臣自刃す。
八月十七日 晴 姉、高須へお悔やみに行かむと家
を出でしも遂に行き得ずして午後空しく帰る。
終日休養
東久邇の宮組閣。 大西中将自決。
八月十八日 晴 今度は余高須に行かむと家を出で
広島駅より首尾よくトラックに便乗して目的を達す。
三戸にて佛壇を拝し常子さん、たけしさん、節子さんの
三つの菓子箱に入った御骨をおがむ。
ついで井上に行き調査の結果を知らせ佛壇へ参りて
午後汽車のデッキにぶら下り辛ふじて帰る。
陸海軍人に勅語を発せられる。
八月十九日 晴 休養。昨日より糸崎へゆく準備
(家人ら帰宅し留守番も要らず。又病院の一室余の名にて
折角借りある由なれば、連日の無理を休むる為、又敵進
駐の混乱を避けたき為もありて)
午後天野君に卵を生まぬ方の鶏を絞めてもらひ
夜スキ焼をする。父も帰宅す。
八月二十日 晴 リュックを負い蚊帳を持ちて
糸崎の日赤病院に来る。療友からよく噂を聞きし
所。風景絶佳、三七号室に入る。
