林 幸子

(1929~2011)


本名・川村幸子(旧姓:梶谷)。

原爆詩を代表する一つ『ヒロシマの空』の作者。山中高女(現在の広島大付属福山高校)専攻科の学徒動員先だった己斐上町(西区)の工場で被爆。歯科医である父と避難先で出会い、下流川町(現在の中区流川町)の自宅跡を一緒に掘り返した時の光景を、被爆から5年後に著した。

戦後は原爆詩人の峠三吉(17~53年)らと活動し、詩を通して反戦平和を訴えた。



林幸子 主な作品


林幸子 年譜

1945年

8月6日、山中高等女学校(現在の広島大学付属福山高校)専攻科の学徒動員先だった己斐上町の工場で被爆。翌日、父と避難先で合流、母と弟を探しに下流川町(中区流川町)の自宅跡を一緒に掘り返した。弟は母のそばで半分骨になり、内臓が焼け残っていた。


9月1日、父も急性放射線障害で息を引き取る。


1950年

『ヒロシマの空』が、『われらの詩』10号(昭和25年12月)に掲載。


2011年

1月2日、東京都内の病院で死去。享年81歳。