峠三吉『原爆詩集』


呼びかけ

 

いまでもおそくはない

あなたのほんとうの力をふるい起すのはおそくはない

あの日、網膜を灼く閃光につらぬかれた心の傷手から

したたりやまぬ涙をあなたがもつなら

いまもその裂目から、どくどくと戦争を呪う血膿をしたたらせる

ひろしまの体臭をあなたがもつなら

 

焔の迫ったおも屋の下から

両手を出してもがく妹を捨て

焦げた衣服のきれはしで恥部をおおうこともなく

赤むけの両腕をむねにたらし

火を踏んだ裸足でよろよろと

照り返す瓦礫の砂漠を

なぐさめられることのない旅にさまよい出た

ほんとうのあなたが

 

その異形の腕をたかくさしのべ

おなじ多くの腕とともに

また墜ちかかろうとする

呪いの太陽を支えるのは

いまからでもおそくはない

 

戦争を厭いながらたたずむ

すべての優しい人々の涙腺を

死の烙印をせおうあなたの背中で塞ぎ

おずおずとたれたその手を

あなたの赤むけの両掌で

しっかりと握りあわせるのは

さあ

いまでもおそくはない