峠三吉『原爆詩集』


 

黒眼鏡をとると瞼がめくれこんで癒着した傷痕のあいだから

にじみ出る涙があった

あの収容所で、凝りついた血をしめらせ

顔いっぱいに巻いた白布を一枚宛ほどき最後のガーゼをめくると

ひとつの臓腑であった両眼が、そのままのかたちで癒えてうすいしずくをしみ出し

失った妻子のことをいう指先が手巾をさぐって顫えていた

 

〈ここはどこ、どんなところです?〉死体置場から運ばれて来て

最初に意識をとり戻したときと同じ言葉を

また口にしながら

太い青竹をとりなおし、ゲートルの脚先でしきいをさぐり

そろそろと出ていった

 

――こうされたことも共に神に免されねばならぬ――

――ひとり揉めば五十円になる、今に銀めしをごちそうします――

カトリックに通い、あんまを習い、すべての遍歴は年月の底に埋れて

ある冬近い日暮れ

束ね髪の新しい妻に手をひかれた兵隊服の姿を電車の中から見た

 

〈ここはどこ、どんなところです?〉それは街の騒音の中で

自分の均衡をたしかめるように立止り

中折帽の顔だけを空の光りへ向け

たえず妻に何かを訊ねかけているように見えた

さらに数年、ふたたび北風の街角で向うからやってくる

その姿があった

それは背中を折りまげ予備隊の群をさけながら

おどろくほどやつれた妻の胸にしっかりと片腕を支えられ

真直に風に向って

何かに追いつこうとするように足早に通っていった

 

黒眼鏡の奥、皮膚のしわからにじみ出るものは、とおく渇れつくして

そのまま心の中を歩いてゆく

苦痛の痕跡であった