峠三吉『原爆詩集』


としとったお母さん

 

逝ってはいけない

としとったお母さん

このままいってしまってはいけない

 

風にぎいぎいゆれる母子寮のかたすみ

四畳半のがらんどうの部屋

みかん箱の仏壇のまえ

たるんだ皮と筋だけの体をよこたえ

おもすぎるせんべい布団のなかで

終日なにか

呟いているお母さん

 

うそ寒い日が

西の方、己斐の山からやって来て

窓硝子にたまったくれがたの埃をうかし

あなたのこめかみの

しろい髪毛をかすかに光らせる

 

この冬近いあかるみのなか

あなたはまた

かわいい息子と嫁と

孫との乾いた面輪をこちらに向かせ

話しつづけているのではないだろうか

仏壇のいろあせた写真が

かすかにひわって

ほほえんで

 

きのう会社のひとが

ちょうどあなたの

息子の席があったあたりから

金冠のついた前歯を掘り出したと

もって来た

お嫁さんと坊やとは

なんでも土橋のあたりで

隣組の人たちとみんな全身やけどして

ちかくの天満川へ這い降り

つぎつぎ水に流されてしまったそうな

 

あの照りつけるまいにちを

杖ついたあなたの手をひき

さがし歩いた影のないひろしま

瓦の山をこえ崩れた橋をつたい

西から東、南から北

死人を集めていたという噂の四つ角から

町はずれの寺や学校

ちいさな島の収容所まで

半ばやぶれた負傷者名簿をめくり

呻きつづけるひとたちのあいだを

のぞいてたずね廻り

ほんに七日め

ふときいた山奥の村の病院へむけて

また焼跡をよこぎっていたとき

いままで

頑固なほど気丈だったあなたが

根もとだけになった電柱が

ぶすぶすくすぼっているそばで

急にしゃがみこんだまま

「ああもうええ

もうたくさんじゃ

どうしてわしらあこのような

つらいめにあわにゃあならんのか」

おいおい声をあげて

泣きだし

灰のなかに傘が倒れて

ちいさな埃がたって

ばかみたいな青い空に

なんにも

なんにもなく

ひと筋しろい煙だけが

ながながとあがっていたが……

 

若いとき亭主に死なれ

さいほう、洗いはり

よなきうどん屋までして育てたひとり息子

大学を出て胸の病気の五、六年

やっとなおって嫁をもらい

孫をつくって半年め

八月六日のあの朝に

いつものように笑って出かけ

嫁は孫をおんぶして

疎開作業につれ出され

そのまんま

かえってこない

あなたひとりを家にのこして

かえって来なかった三人

 

ああお母さん

としとったお母さん

このまま逝ってはいけない

焼跡をさがし歩いた疲れからか

のこった毒気にあてられたのか

だるがって

やがて寝ついて

いまはじぶんの呟くことばも

はっきり分らぬお母さん

 

かなしみならぬあなたの悲しみ

うらみともないあなたの恨みは

あの戦争でみよりをなくした

みんなの人のおもいとつながり

二度とこんな目を

人の世におこさせぬちからとなるんだ

 

その呟き

その涙のあとを

ひからびた肋にだけつづりながら

このまま逝ってしまってはいけない

いってしまっては

いけない