峠三吉『原爆詩集』



 1950年6月、朝鮮戦争が勃発。当時のアメリカ大統領・トルーマンの「原爆使用も考慮」という声明に触発された峠三吉が、国立広島療養所(現在の国立病院機構東広島医療センター。東広島市にある。)で療養中に書いた。峠は、このことを、同年12月1日の日記に次のように記している。

原子爆弾を使用するかもしれぬとのト大統領の声明が発表せられる。広島市民からも直ちに意思表示がなされるべきだ

 

 また、『原爆詩集』のあとがきには、次のように記してある。

この詩集はすべての人間を愛する人たちへの贈り物であると共に、そうした人々への警告の書でもある。

 

 1951年、ガリ版刷りで発行された。表紙装丁・挿絵は、当時峠と協働作業していた四國五郎が担当した。翌年には、峠の意向で新たに5編が追加され、青木書店から活字印刷されたものが刊行された。

 

 発行から70年余り経った今でも、全国的に発売され、多くの読者を獲得し、現在でも読み継がれている。そういう意味では、希有な詩集の一つといえる。

 

 なお、本ホームページ作成にあたり、①『原爆詩集』最終稿(自筆稿)、②『(被爆時の)日記』及び『メモ~覚書~感想』、③『原爆詩集』(ガリ初版本、1951年出版)、④『原爆詩集』(青木書店、1952年出版)、⑤『原爆詩集』(岩波書店、2016年出版)を比較した結果、句読点、改行、漢字・平仮名表記などの違いを含めると100か所以上にのぼり、表記の相違が確認された。

 掲載した内容は、『原爆詩集』成立に立ち会った好村冨士彦(1931~2002)が『新日本文学』(2002年3月号)に書き残した言質より、峠三吉の自筆稿として現存する『原爆詩集』最終稿を特に重要視し、「広島文学資料保全の会」で修正を行なっている。ただし、1952年出版の『原爆詩集』(青木書店)では、『無題(まえがき)』『あとがき』に長崎の原爆について追記されたため、こちらに沿っている。


イタリック表記 は、1952年に峠の意向により追加された5編です。