原民喜『壊滅の序曲』


 朝から粉雪が降つてゐた。その街に泊つた旅人は何となしに粉雪の風情に誘はれて、川の方へ歩いて行つてみた。本川橋は宿からすぐ近くにあつた。本川橋といふ名も彼には久し振りに思ひ出したのである。むかし彼が中学生だつた頃の記憶がまだそこに残つてゐさうだつた。粉雪は彼の繊細な視覚を更に鋭くしてゐた。橋の中ほどに佇んで、岸を見てゐると、ふと、『本川饅頭』といふ古びた看板があるのを見つけた。突然、彼は不思議なほど静かな昔の風景のなかに浸つてゐるやうな錯覚を覚えた。が、つづいて、ぶるぶると戦慄が湧くのをどうすることもできなかつた。この粉雪につつまれた一瞬の静けさのなかに、最も痛ましい終末の日の姿が閃いたのである。……彼はそのことを手紙に誌して、その街に棲んでゐる友人に送つた。さうして、そこの街を立去り、遠方へ旅立つた。

 

 ……その手紙を受取つた男は、二階でぼんやり窓の外を眺めてゐた。すぐ眼の前に隣家の小さな土蔵が見え、屋根近くその白壁の一ところが剥脱してゐて粗い赭土を露出させた寂しい眺めが、――さういふ些細な部分だけが、昔ながらの面影を湛へてゐるやうであつた。……彼も近頃この街へ棲むやうになつたのだが、久しいあひだ郷里を離れてゐた男には、すべてが今は縁なき衆生のやうであつた。少年の日の彼の夢想を育んだ山や河はどうなつたのだらうか、――彼は足の赴くままに郷里の景色を見て歩いた。残雪をいただいた中国山脈や、その下を流れる川は、ぎごちなく武装した、ざわつく街のために稀薄な印象をとどめてゐた。巷では、行逢ふ人から、木で鼻を括るやうな扱ひを受けた。殺気立つた中に、何ともいへぬ間の抜けたものも感じられる、奇怪な世界であつた。

 ……いつのまにか彼は友人の手紙にある戦慄について考へめぐらしてゐた。想像を絶した地獄変、しかも、それは一瞬にして捲き起るやうにおもへた。さうすると、彼はやがてこの街とともに滅び失せてしまふのだらうか、それとも、この生れ故郷の末期の姿を見とどけるために彼は立戻つて来たのであらうか。賭にも等しい運命であつた。どうかすると、その街が何ごともなく無疵のまま残されること、――そんな虫のいい、愚かしいことも、やはり考へ浮かぶのではあつた。

 

 黒羅紗の立派なジヤンパーを腰のところで締め、綺麗に剃刀のあたつた頤を光らせながら、清二は忙しげに正三の部屋の入口に立ちはだかつた。

「おい、何とかせよ」

 さういふ語気にくらべて、清二の眼の色は弱かつた。彼は正三が手紙を書きかけてゐる机の傍に坐り込むと、側にあつたンゲルマンの『希臘芸術模倣論』の挿絵をパラパラとめくつた。正三はペンを擱くと、黙つて兄の仕草を眺めてゐた。若いとき一時、美術史に熱中したことのあるこの兄は、今でもさういふものには惹きつけられるのであらうか……。だが、清二はすぐにパタンとその本を閉ぢてしまつた。

 それはさきほどの「何とかせよ」といふ語気のつづきのやうにも正三にはおもへた。長兄のところへ舞戻つて来てからもう一ヶ月以上になるのに、彼は何の職に就くでもなし、ただ朝寝と夜更かしをつづけてゐた。

 彼にくらべると、この次兄は毎日を規律と緊張のうちに送つてゐるのであつた。製作所が退けてからも遅くまで、事務室の方に灯がついてゐることがある。そこの露次を通りかかつた正三が事務室の方へ立寄つてみると、清二はひとり机に凭つて、せつせと書きものをしてゐた。工員に渡す月給袋の捺印とか、動員署へ提出する書類とか、さういふ事務的な仕事に満足してゐることは、彼が書く特徴ある筆蹟にも窺はれた。判で押したやうな型に嵌まつた綺麗な文字で、いろんな掲示が事務室の壁に張りつけてある。……正三がぼんやりその文字に見とれてゐると、清二はくるりと廻転椅子を消えのこつた煉炭ストーブの方へ向けながら、「タバコやらうか」と、机の引出から古びた鵬翼の袋を取出し、それから棚の上のラジオにスイツチを入れるのだつた。ラジオは硫黄島の急を告げてゐた。話はとかく戦争の見とほしになるのであつた。清二はぽつんと懐疑的なことを口にしたし、正三ははつきり絶望的な言葉を吐いた。……夜間、警報が出ると、清二は大概、事務室へ駈けつけて来た。警報が出てから五分もたたない頃、表の呼鈴が烈しく鳴る。寝呆け顔の正三が露次の方から、内側の扉を開けると、表には若い女が二人佇んでゐる。監視当番の女工員であつた。「今晩は」と一人が正三の方へ声をかける。正三は直かに胸を衝かれ、襟を正さねばならぬ気持がするのであつた。それから彼が事務室の闇を手探りながら、ラジオに灯りを入れた頃、厚い防空頭巾を被つた清二がそはそはやつて来る。「誰かゐるのか」と清二は灯の方へ声をかけ、椅子に腰を下ろすのだが、すぐまた立上つて工場の方を見て廻つた。さうして、警報が出た翌朝も、清二は早くから自転車で出勤した。奥の二階でひとり朝寝をしてゐる正三のところへ、「いつまで寝てゐるのだ」と警告しに来るのも彼であつた。

 今も正三はこの兄の忙しげな容子にいつもの警告を感じるのであつたが、清二は『希臘芸術模倣論』を元の位置に置くと、ふとかう訊ねた。

「兄貴はどこへ行つた」

「けさ電話かかつて、高須の方へ出掛けたらしい」

 すると、清二は微かに眼に笑みを浮べながら、ごろりと横になり、「またか、困つたなあ」と軽く呟くのであつた。それは正三の口から順一の行動について、もつといろんなことを喋りだすのを待つてゐるやうであつた。だが、正三には長兄と嫂とのこの頃の経緯は、どうもはつきり筋道が立たなかつたし、それに、順一はこのことについては必要以外のことは決して喋らないのであつた。

 

 正三が本家へ戻つて来たその日から、彼はそこの家に漾ふ空気の異状さに感づいた。それは電燈に被せた黒い布や、いたるところに張りめぐらした暗幕のせゐではなく、また、妻を喪つて仕方なくこの不自由な時節に舞戻つて来た弟を歓迎しない素振ばかりでもなく、もつと、何かやりきれないものが、その家には潜んでゐた。順一の顔には時々、嶮しい陰翳が抉られてゐたし、嫂の高子の顔は思ひあまつて茫と疼くやうなものが感じられた。三菱へ学徒動員で通勤してゐる二人の中学生の甥も、妙に黙り込んで陰鬱な顔つきであつた。

 ……ある日、嫂の高子がその家から姿を晦ました。すると順一のひとり忙しげな外出が始まり、家の切廻しは、近所に棲んでゐる寡婦の妹に任せられた。この康子は夜遅くまで二階の部屋にやつて来ては、のべつまくなしに、いろんなことを喋つた。嫂の失踪はこんどが初めてではなく、もう二回も康子が家の留守をあづかつてゐることを正三は知つた。この三十すぎの小姑の口から描写される家の空気は、いろんな臆測と歪曲に満ちてゐたが、それだけに正三の頭脳に熱つぽくこびりつくものがあつた。

 ……暗幕を張つた奥座敷に、飛きり贅沢な緞子の炬燵蒲団が、スタンドの光に射られて紅く燃えてゐる、――その側に、気の抜けたやうな順一の姿が見かけられることがあつた。その光景は正三に何かやりきれないものをつたへた。だが、翌朝になると順一は作業服を着込んで、せつせと疎開の荷造を始めてゐる、その顔は一図に傲岸な殺気を含んでゐた。……それから時々、市外電話がかかつて来ると、長兄は忙しげに出掛けて行く。高須には誰か調停者がゐるらしかつた――が、それ以上のことは正三にはわからなかつた。

 ……妹はこの数年間の嫂の変貌振りを、――それは戦争のためあらゆる困苦を強ひられて来た自分と比較して、――戦争によつて栄耀栄華をほしいままにして来たものの姿として、そしてこの訳のわからない今度の失踪も、更年期の生理的現象だらうかと、何かもの恐ろしげに語るのであつた。……だらだらと妹が喋つてゐると、清二がやつて来て黙つて聴いてゐることがあつた。「要するに、勤労精神がないのだ。少しは工員のことも考へてくれたらいいのに」と次兄はぽつんと口を挿む。「まあ、立派な有閑マダムでせう」と妹も頷く。「だが、この戦争の虚偽が、今ではすべての人間の精神を破壊してゆくのではないかしら」と、正三が云ひだすと「ふん、そんなまはりくどいことではない、だんだん栄耀の種が尽きてゆくので、嫂はむかつ腹たてだしたのだ」と清二はわらふ。

 高子は家を飛出して、一週間あまりすると、けろりと家に帰つて来た。だが、何かまだ割りきれないものがあるらしく、四五日すると、また行衛を晦ました。すると、また順一の追求が始まつた。「今度は長いぞ」と順一は昂然として云ひ放つた。「愚図愚図すれば、皆から馬鹿にされる。四十にもなつて、碌に人に挨拶もできない奴ばかりぢやないか」と弟達にあてこすることもあつた。……正三は二人の兄の性格のなかに彼と同じものを見出すことがあつて、時々、厭な気持がした。森製作所の指導員をしている康子は、兄たちの世間に対する態度の拙劣さを指摘するのだつた。その拙劣さは正三にもあつた。……しかし、長い間、離れてゐるうちに、何と兄たちはひどく変つて行つたことだらう。それでは正三自身はちつとも変らなかつたのだらうか。……否。みんなが、みんな、日毎に迫る危機に晒されて、まだまだ変らうとしてゐるし、変つてゆくに違ひない。ぎりぎりのところをみとどけなければならぬ。――これが、その頃の正三に自然に浮んで来るテーマであつた。

「来たぞ」といつて、清二は正三の眼の前に一枚の紙片を差出した。点呼令状であつた。正三はじつとその紙に眼をおとし、印刷の隅々まで読みかへした。

「五月か」と彼はさう呟いた。正三は昨年、国民兵の教育召集を受けた時ほどにはもう驚かなかつた。が、しかし清二は彼の顔に漾ふ苦悶の表情をみてとつて、「なあに、どつちみち、今となつては、内地勤務だ、大したことないさ」と軽くうそぶいた。……五月といへば、二ヶ月さきのことであつたが、それまでこの戦争が続くだらうか、と正三は窃かに考へ耽つた。

 何といふことなしに正三は、ぶらぶらと街をよく散歩した。妹の息子の乾一を連れて、久振りに泉邸へも行つてみた。昔、彼が幼なかつたとき彼もよく誰かに連れられて訪れたことのある庭園だが、今も淡い早春の陽ざしのなかに樹木や水はひつそりとしてゐた。絶好の避難場所、さういふ念想がすぐ閃めくのであつた。……映画館は昼間から満員だつたし、盛場の食堂はいつも賑はつてゐた。正三は見覚えのある小路を選んでは歩いてみたが、どこにももう子供心に印されてゐた懐しいものは見出せなかつた。下士官に引率された兵士の一隊が悲壮な歌をうたひながら、突然、四つ角から現れる。頭髪に白鉢巻をした女子勤労学徒の一隊が、兵隊のやうな歩調でやつて来るのともすれちがつた。

 ……橋の上に佇んで、川上の方を眺めると、正三の名称を知らない山々があつたし、街のはての瀬戸内海の方角には島山が、建物の蔭から顔を覗けた。この街を包囲してゐるそれらの山々に、正三はかすかに何かよびかけたいものを感じはじめた。……ある夕方、彼はふと町角を通りすぎる二人の若い女に眼が惹きつけられた。健康さうな肢体と、豊かなパーマネントの姿は、明日の新しいタイプかとちよつと正三の好奇心をそそつた。彼は彼女たちの後を追ひ、その会話を漏れ聴かうと試みた。

「お芋がありさへすりやあ、ええわね」

 間ののびた、げつそりするやうな、声であつた。

 

 森製作所では六十名ばかりの女子学徒が、縫工場の方へやつて来ることになつてゐた。学徒受入式の準備で、清二は張切つてゐたし、その日が近づくにつれて、今迄ぶらぶらしてゐた正三も自然、事務室の方へ姿を現はし、雑用を手伝はされた。新しい作業服を着て、ガラガラと下駄をひきずりながら、土蔵の方から椅子を運んでくる正三の様子は、慣れない仕事に抵抗しようとするやうな、ぎこちなさがあつた。……椅子が運ばれ、幕が張られ、それに清二の書いた式順の項目が掲示され、式場は既に整つてゐた。その日は九時から式が行はれるはずであつた。だが、早朝から発せられた空襲警報のために、予定はすつかり狂つてしまつた。

「……備前岡山、備後灘、松山上空」とラジオは艦載機来襲を刻々と告げてゐる。正三の身支度が出来た頃、高射砲が唸りだした。この街では、はじめてきく高射砲であつたが、どんよりと曇つた空がかすかに緊張して来た。だが、機影は見えず、空襲警報は一旦、警戒警報に移つたりして、人々はただそはそはしてゐた。……正三が事務室へ這入つて行くと、鉄兜を被つた上田の顔と出逢つた。

「とうとう、やつて来ましたの、なんちゆうことかいの」

 と、田舎から通勤して来る上田は彼に話しかける。その逞しい体躯や淡泊な心を現はしてゐる相手の顔つきは、いまも何となしに正三に安堵の感を抱かせるのであつた。そこへ清二のジヤンパー姿が見えた。顔は颯爽と笑みを浮かべようとして、眼はキラキラ輝いてゐた。……上田と清二が表の方へ姿を消し、正三ひとりが椅子に腰を下ろしてゐた時であつた。彼は暫くぼんやりと何も考へてはゐなかつたが、突然、屋根の方を、ビユンと唸る音がして、つづいて、バリバリと何か裂ける響がした。それはすぐ頭上に墜ちて来さうな感じがして、正三の視覚はガラス窓の方へつ走つた。向の二階の簷と、庭の松の梢が、一瞬、異常な密度で網膜に映じた。音響はそれきり、もうきこえなかつた。暫くすると、表からドカドカと人々が帰つて来た。「あ、魂消た、度胆を抜かれたわい」と三浦は歪んだ笑顔をしてゐた。……警報解除になると、往来をぞろぞろと人が通りだした。ざわざわしたなかに、どこか浮々した空気さへ感じられるのであつた。すぐそこで拾つたのだといつて誰かが砲弾の破片を持つて来た。

 その翌日、白鉢巻をした小さな女学生の一クラスが校長と主任教師に引率されてぞろぞろとやつて来ると、すぐに式場の方へ導かれ、工員たちも全部着席した頃、正三は三浦と一緒に一番後からしんがりの椅子に腰を下ろしてゐた。県庁動員課の男の式辞や、校長の訓示はいい加減に聞流してゐたが、やがて、立派な国民服姿の順一が登壇すると、正三は興味をもつて、演説の一言一句をききとつた。かういふ行事には場を踏んで来たものらしく、声も態度もキビキビしてゐた。だが、かすかに言葉に――といふよりも心の矛盾に――つかへてゐるやうなところもあつた。正三がじろじろ観察してゐると、順一の視線とピツタリ出喰はした。それは何かに挑みかかるやうな、不思議な光を放つてゐた。……学徒の合唱が終ると、彼女たちはその日から賑やかに工場へ流れて行つた。毎朝早くからやつて来て、夕方きちんと整列して先生に引率されながら帰つてゆく姿は、ここの製作所に一脈の新鮮さを齎し、多少の潤ひを混へるのであつた。そのいぢらしい姿は正三の眼にも映つた。

 正三は事務室の片隅で釦を数へてゐた。卓の上に散らかつた釦を百箇づつ纏めればいいのであるが、のろのろと馴れない指さきで無器用なことを続けてゐると、来客と応対しながらじろじろ眺めてゐた順一はとうとう堪りかねたやうに、「そんな数へ方があるか、遊びごとではないぞ」と声をかけた。せつせと手紙を書きつづけてゐた片山が、すぐにペンを擱いて、正三の側にやつて来た。「あ、それですか、それはかうして、こんな風にやつて御覧なさい」片山は親切に教へてくれるのであつた。この彼よりも年下の、元気な片山は、恐しいほど気がきいてゐて、いつも彼を圧倒するのであつた。

 

 艦載機がこの街に現れてから九日目に、また空襲警報が出た。が、豊後水道から侵入した編隊は佐田岬で迂廻し、続々と九州へ向かふのであつた。こんどは、この街には何ごともなかつたものの、この頃になると、遽かに人も街も浮足立つて来た。軍隊が出動して、街の建物を次々に破壊して行くと、昼夜なしに疎開の車馬が絶えなかつた。

 昼すぎ、みんなが外出したあとの事務室で、正三はひとり岩波新書の『零の発見』を読み耽けつてゐた。ナポレオン戦役の時、ロシア軍の捕虜になつたフランスの一士官が、憂悶のあまり数学の研究に没頭してゐたといふ話は、妙に彼の心に触れるものがあつた。……ふと、せかせかと清二が戻つて来た。何かよほど興奮してゐるらしいことが、顔つきに現れてゐた。

「兄貴はまだ帰らぬか」

「まだらしいな」正三はぼんやり応へた。相変らず、順一は留守がちのことが多く、高子との紛争も、その後どうなつてゐるのか、第三者には把めないのであつた。

「ぐづぐづしてはゐられないぞ」清二は怒気を帯びた声で話しだした。「外へ行つて見て来るといい。竹屋町の通りも平田屋町辺もみんな取払はれてしまつたぞ。被服支廠もいよいよ疎開だ」

「ふん、さういふことになつたのか。してみると、広島は東京よりまづ三月ほど立遅れてゐたわけだね」正三が何の意味もなくそんなことを呟くと、

「それだけ広島が遅れてゐたのは有難いと思はねばならぬではないか」と清二は眼をまじまじさせて、なほも硬い表情をしてゐた。

 ……大勢の子供を抱へた清二の家は、近頃は次から次へとごつたかへす要件で紛糾してゐた。どの部屋にも、疎開の衣類が跳繰りだされ、それに二人の子供は集団疎開に加はつて近く出発することになつてゐたので、その準備だけでも大変だつた。手際のわるい光子はのろのろと仕事を片づけ、どうかすると無駄話に時を浪費してゐる。清二は外から帰つて来ると、いつも苛々した気分で妻にあたり散らすのであつたが、その癖、夕食が済むと、奥の部屋に引籠つて、せつせとミシンを踏んだ。リユツクサツクを縫ふのであつた。しかし、リユツクなら既に二つも彼の家にはあつたし、急ぐ品でもなささうであつた。清二はただ、それを拵へる面白さに夢中だつた。「なあにくそ、なあにくそ」とつぶやきながら、針を運んだ。「職人なんかに負けてたまるものか」事実、彼の拵へたリユツクは下手な職人の品よりか優秀であつた。

 ……かうして、清二は清二なりに何か気持を紛らし続けてゐたのだが、今日、被服支廠に出頭すると、工場疎開を命じられたのには、急に足許が揺れだす思ひがした。それから帰路、竹屋町辺まで差しかかると、昨日まで四十何年間も見馴れた小路が、すつかり歯の抜けたやうになつてゐて、兵隊は滅茶苦茶に鉈を振るつてゐる。廿代に二三年他郷に遊学したほかは、殆どこの郷土を離れたこともなく、与へられた仕事を堪へしのび、その地位も漸く安定してゐた清二にとつて、これは堪へがたいことであつた。……一体全体どうなるのか。正三などにわかることではなかつた。彼は、一刻も速く順一に会つて、工場疎開のことを告げておきたかつた。親身で兄と相談したいことは、いくらもあるやうな気持がした。それなのに、順一は順一で高子のことに気を奪はれ、今は何のたよりにもならないやうであつた。

 清二はゲートルをとりはづし、暫くぼんやりしてゐた。そのうちに上田や三浦が帰つて来ると、事務室は建物疎開の話で持ちきつた。「乱暴なことをする喃。ちうに、鋸で柱をゴシゴシ引いて、縄かけてエンヤサエンヤサと引張り、それで片つぱしからめいで行くのだから、瓦も何もわや苦茶ぢや」と上田は兵隊の早業に感心してゐた。「永田の紙屋なんか可哀相なものさ。あの家は外から見ても、それは立派な普請だが、親爺さん床柱を撫でてわいわい泣いたよ」と三浦は見てきたやうに語る。すると、清二も今はニコニコしながら、この話に加はるのであつた。そこへ冴えない顔つきをして順一も戻つて来た。

 

 四月に入ると、街にはそろそろ嫩葉も見えだしたが、壁土の土砂が風に煽られて、空気はひどくザラザラしてゐた。車馬の往来は絡繹とつづき、人間の生活が今はむき出しで晒されてゐた。

「あんなものまで運んでゐる」と、清二は事務室の窓から外を眺めて笑つた。台八車に雉子の剥製が揺れながら見えた。「情ないものぢやないか。中国が悲惨だとか何とか云ひながら、こちらだつて中国のやうになつてしまつたぢやないか」と、流転の相に心を打たれてか、順一もつぶやいた。この長兄は、要心深く戦争の批判を避けるのであつたが、硫黄島が陥落した時には、「東条なんか八つ裂きにしてもあきたらない」と漏らした。だが、清二が工場疎開のことを急かすと、「被服支廠から真先に浮足立つたりしてどうなるのだ」と、あまり賛成しないのであつた。

 正三もゲートルを巻いて外出することが多くなつた。銀行、県庁、市役所、交通公社、動員署――どこへ行つても簡単な使ひであつたし、帰りにはぶらぶらと巷を見て歩いた。……堀川町の通がぐいと思ひきり切開かれ、土蔵だけを残し、ギラギラと破壊の跡が遠方まで展望されるのは、印象派の絵のやうであつた。これはこれで趣もある、と正三は強ひてそんな感想を抱かうとした。すると、ある日、その印象派の絵の中に真白な鴎が無数に動いてゐた。勤労奉仕の女学生たちであつた。彼女たちはピカピカと光る破片の上におりたち、白い上衣に明るい陽光を浴びながら、てんでに弁当を披いてゐるのであつた。……古本屋へ立寄つてみても、書籍の変動が著しく、狼狽と無秩序がここにも窺はれた。「何か天文学の本はありませんか」そんなことを尋ねてゐる青年の声がふと彼の耳に残つた。

 ……電気休みの日、彼は妻の墓を訪れ、その序でに饒津公園の方を歩いてみた。以前この辺は花見遊山の人出で賑はつたものだが、さうおもひながら、ひつそりとした木蔭を見やると、老婆と小さな娘がひそひそと弁当をひろげてゐた。桃の花が満開で、柳の緑は燃えてゐた。だが、正三にはどうも、まともに季節の感覚が映つて来なかつた。何かがずれさがつて、恐しく調子を狂はしてゐる。――そんな感想を彼は友人に書き送つた。岩手県の方に疎開してゐる友からもよく便りがあつた。「元気でゐて下さい。細心にやつて下さい」さういふ短かい言葉の端にも正三は、ひたすら終戦の日を祈つてゐるものの気持を感じた。だが、その新しい日まで己は生きのびるのだらうか……。

 

 片山のところに召集令状がやつて来た。精悍な彼は、いつものやうに冗談をいひながら、てきぱきと事務の後始末をして行くのであつた。

「これまで点呼を受けたことはあるのですか」と正三は彼に訊ねた。

「それも今年はじめてある筈だつたのですが、……いきなりこれでさあ。何しろ、千年に一度あるかないかの大いくさですよ」と片山は笑つた。

 長い間、病気のため姿を現はさなかつた三津井老人が事務室の片隅から、憂はしげに彼等の様子を眺めてゐたが、このとき静かに片山の側に近寄ると、

「兵隊になられたら、馬鹿になりなさいよ、ものを考へてはいけませんよ」と、息子に云ひきかすやうに云ひだした。

 ……この三津井老人は正三の父の時代から店にゐた人で、子供のとき正三は一度学校で気分が悪くなり、この人に迎へに来てもらつた記憶がある。そのとき三津井は青ざめた彼を励ましながら、川のほとりで嘔吐する肩を撫でてくれた。そんな、遠い、細かなことを、無表情に近い、窄んだ顔は憶えてゐてくれるのだらうか。正三はこの老人が今日のやうな時代をどう思つてゐるか、尋ねてみたい気持になることもあつた。だが、老人はいつも事務室の片隅で、何か人を寄せつけない頑なものを持つてゐた。

 ……あるとき、経理部から、暗幕につける環を求めて来たことがある。上田が早速、倉庫から環の箱を取出し、事務室の卓に並べると、「そいつは一箱いくつ這入つてゐますか」と経理部の兵は訊ねた。「千箇でさあ」と上田は無造作に答へた。隅の方で、じろじろ眺めてゐた老人はこのとき急に言葉をさし挿んだ。

「千箇? そんな筈はない」

 上田は不思議さうに老人を眺め、

「千箇でさあ、これまでいつもさうでしたよ」

「いいや、どうしても違ふ」

 老人は立上つて秤を持つて来た。それから、百箇の環の目方を測ると、次に箱全体の環を秤にかけた。全体を百で割ると、七百箇であつた。

 

 森製作所では片山の送別会が行はれた。すると、正三の知らぬ人々が事務室に現はれ、いろんなものをどこかから整へてくるのであつた。順一の加はつてゐる、さまざまなグルウプ、それが互に物資の融通をし合つてゐることを正三は漸く気づくやうになつた。……その頃になると、高子と順一の長い間の葛藤は結局、曖昧になり、思ひがけぬ方角へ解決されてゆくのであつた。

 疎開の意味で、高子には五日市町の方へ一軒、家を持たす、そして森家の台所は恰度、息子を学童疎開に出して一人きりになつている康子に委ねる、――さういふことが決定すると、高子も晴れがましく家に戻つて来て、移転の荷拵へをした。だが、高子にもまして、この荷造に熱中したのは順一であつた。彼はいろんな品物に丁寧に綱をかけ、覆ひや枠を拵へた。そんな作業の合間には、事務室に戻り、チエツク・プロテクターを使つたり、来客を応対した。夜は妹を相手にひとりで晩酌をした。酒はどこかから這入つて来たし、順一の機嫌はよかつた……。

 と、ある朝、B29がこの街の上空を掠めて行つた。森製作所の縫工場にゐた学徒たちは、一斉に窓からのぞき、屋根の方へ匐ひ出し、空に残る飛行機雲をみとれた。「綺麗だわね」「おう速いこと」と、少女たちはてんでに嘆声を放つ。B29も、飛行機雲も、この街に姿を現はしたのはこれがはじめてであつた。――昨年来、東京で見なれてゐた正三には久振りに見る飛行機雲であつた。

 その翌日、馬車が来て、高子の荷は五日市町の方へ運ばれて行つた。「嫁入りのやりなほしですよ」と、高子は笑ひながら、近所の人々に挨拶して出発した。だが、四五日すると、高子は改めて近所との送別会に戻つて来た。電気休業で、朝から台所には餅臼が用意されて、順一や康子は餅搗の支度をした。そのうちに隣組の女達がぞろぞろと台所にやつて来た。……今では正三も妹の口から、この近隣の人々のことも、うんざりするほどきかされてゐた。誰と誰が結托してゐて、何処と何処が対立し、いかに統制をくぐり抜けてみんなそれぞれ遣繰をしてゐるか。台所に姿を現した女たちは、みんな一筋縄ではゆかぬ相貌であつたが、正三などの及びもつかぬ生活力と、虚偽を無邪気に振舞う本能をさづかつてゐるらしかつた。……「今のうちに飲んでおきませうや」と、そのころ順一のところにはいろんな仲間が宴会の相談を持ちかけ、森家の台所は賑はつた。そんなとき近所のおかみさん達もやつて来て加勢するのであつた。

 

 正三は夢の中で、嵐に揉みくちやにされて墜ちてゐるのを感じた。つづいて、窓ガラスがドシン、ドシンと響いた。そのうちに、「煙が、煙が……」と何処かすぐ近くで叫んでゐるのを耳にした。ふらふらする足どりで、二階の窓際へ寄ると、遙か西の方の空に黒煙が朦々と立騰つてゐた。服装をととのへ階下に行つた時には、しかし、もう飛行機は過ぎてしまつた後であつた。……清二の心配さうな顔があつた。「朝寝なんかしてゐる際ぢやないぞ」と彼は正三を叱りつけた。その朝、警報が出たことも正三はまるで知らなかつたのだが、ラジオが一機、浜田(日本海側、島根県の港)へ赴いたと報じたかとおもふと、間もなくこれであつた。紙屋町筋に一筋パラパラと爆弾が撒かれて行つたのだ。四月末日のことであつた。

 

 五月に入ると、近所の国民学校の講堂で毎晩、点呼の予習が行はれてゐた。それを正三は知らなかつたのであるが、漸くそれに気づいたのは、点呼前四日のことであつた。その日から、彼も早目に夕食を了へては、そこへ出掛けて行つた。その学校も今では既に兵舎に充てられてゐた。燈の薄暗い講堂の板の間には、相当年輩の一群と、ぐんと若い一組が入混つてゐた。血色のいい、若い教官はピンと身をそりかへらすやうな姿勢で、ピカピカの長靴の脛はゴムのやうに弾んでゐた。

「みんなが、かうして予習に来てゐるのを、君だけ気づかなかつたのか」

 はじめ教官は穏かに正三に訊ね、正三はぼそぼそと弁解した。

「声が小さい!」

 突然、教官は、吃驚するやうな声で呶鳴つた。

 ……そのうち、正三もここでは皆がみんな蛮声の出し合ひをしてゐることに気づいた。彼も首を振るひ、自棄くそに出来るかぎりの声を絞りださうとした。疲れて家に戻ると、怒号の調子が身裡に渦巻いた。……教官は若い一組を集めて、一人一人に点呼の練習をしてゐた。教官の問に対して、青年たちは元気よく答へ、練習は順調に進んでゐた。足が多少跛の青年がでてくると、教官は壇上から彼を見下ろした。

「職業は写真屋か」

「左様でございます」青年は腰の低い商人口調でひよこんと応へた。

「よせよ、ハイで結構だ。折角、今迄いい気分でゐたのに、そんな返事されてはげつそりしてしまふ」と教官は苦笑ひした。この告白で正三はハツと気づいた。陶酔だ、と彼はおもつた。

「馬鹿馬鹿しいきはみだ。日本の軍隊はただ形式に陶酔してゐるだけだ」家に帰ると正三は妹の前でぺらぺらと喋つた。

 

 今にも雨になりさうな薄暗い朝であつた。正三はその国民学校の運動場の列の中にゐた。五時からやつて来たのであるが、訓示や整列の繰返しばかりで、なかなか出発にはならなかつた。その朝、態度がけしからんと云つて、一青年の頬桁を張り飛ばした教官は、何かまだ弾む気持を持てあましてゐるやうであつた。そこへ恰度、ひどく垢じみた中年男がやつて来ると、もそもそと何か訴へはじめた。

「何だと!」と教官の声だけが満場にききとれた。「一度も予習に出なかつたくせにして、今朝だけ出るつもりか」

 教官はじろじろ彼を眺めてゐたが、

「裸になれ!」と大喝した。さう云はれて、相手はおづおづと釦を外しだした。が、教官はいよいよ猛つて来た。

「裸になるとは、かうするのだ」と、相手をぐんぐん運動場の正面に引張つて来ると、くるりと後向きにさせて、パツと相手の襯衣を剥ぎとつた。すると青緑色の靄が立罩めた薄暗い光線の中に、瘡蓋だらけの醜い背中が露出された。

「これが絶対安静を要した躯なのか」と、教官は次の動作に移るため一寸間を置いた。

「不心得者!」この声と同時にピシリと鉄拳が閃いた。と、その時、校庭にあるサイレンが警戒警報の唸りを放ちだした。その、もの哀しげな太い響は、この光景にさらに凄惨な趣を加へるやうであつた。やがてサイレンが歇むと、教官は自分の演じた効果に大分満足したらしく、

「今から、この男を憲兵隊へ起訴してやる」と一同に宣言し、それから、はじめて出発を命じるのであつた。……一同が西練兵場へ差しかかると、雨がぽちぽち落ちだした。荒々しい歩調の音が堀に添つて進んだ。その堀の向が西部二部隊であつたが、仄暗い緑の堤にいま躑躅の花が血のやうに咲乱れてゐるのが、ふと正三の眼に留まつた。

 

 康子の荷物は息子の学童疎開地へ少し送つたのと、知り合ひの田舎へ一箱預けたほかは、まだ大部分順一の家の土蔵にあつた。身のまはりの品と仕事道具は、ミシンを据ゑた六畳の間に置かれたが、部屋一杯、仕かかりの仕事を展げて、その中でのぼせ気味に働くのが好きな彼女は、そこが乱雑になることは一向気にならなかつた。雨がちの天気で、早くから日が暮れると鼠がごそごそ這ひのぼつて、ボール函の蔭へ隠れたりした。綺麗好きの順一は時々、妹を叱りつけるのだが、康子はその時だけちよつと片附けてみるものの、部屋はすぐ前以上に乱れた。仕事やら、台所やら、掃除やら、こんな広い家を兄の気に入るとほりには出来ない、と、よく康子は清二に零すのであつた。……五日市町へ家を借りて以来、順一はつぎつぎに疎開の品を思ひつき、殆ど毎日、荷造に余念ないのだつたが、荷を散乱した後は家のうちをきちんと片附けておく習慣だつた。順一の持逃げ用のリユツクサツクは食糧品が詰められて、縁側の天井から吊されてゐる綱に括りつけてあつた。つまり、鼠の侵害を防ぐためであつた。……西崎に縄を掛けさせた荷を二人で製作所の片隅へ持運ぶと、順一は事務室で老眼鏡をかけ二三の書類を読み、それから不意と風呂場へ姿を現はし、ゴシゴシと流し場の掃除に取掛る。

 ……この頃、順一は身も心も独楽のやうによく廻転した。高子を疎開させたものの、町会では防空要員の疎開を拒み、移動証明を出さなかつた。随つて、順一は食糧も、高子のところへ運ばねばならなかつた。五日市町までの定期乗車券も手に入れたし、米はこと欠かないだけ、絶えず流れ込んで来る。……風呂掃除が済む頃、順一にはもう明日の荷造のプランが出来てゐる。そこで、手足を拭ひ、下駄をつつかけ、土蔵を覘いてみるのであつたが、入口のすぐ側に乱雑に積み重ねてある康子の荷物――何か取出して、そのまま蓋の開いてゐる箱や、蓋から喰みだしてゐる衣類……が、いつものことながら目につく。暫く順一はそれを冷然と見詰めてゐたが、ふと、ここへはもつと水桶を備へつけておいた方がいいな、と、ひとり頷くのであつた。

 卅も半ばすぎの康子は、もう女学生の頃の明るい頭には還れなかつたし、澄んだ魂といふものは何時のまにか見喪はれてゐた。が、そのかはり何か今では不逞不逞しいものが身に備はつてゐた。病弱な夫と死別し、幼児を抱へて、順一の近所へ移り棲むやうになつた頃から、世間は複雑になつたし、その間、一年あまり洋裁修業の旅にも出たりしたが、生活難の底で、姑や隣組や嫂や兄たちに小衝かれてゆくうちに、多少ものの裏表もわかつて来た。この頃、何よりも彼女にとつて興味があるのは、他人のことで、人の気持をあれこれ臆測したり批評したりすることが、殆ど病みつきになつてゐた。それから、彼女は彼女流に、人を掌中にまるめる、といふより人と面白く交際つて、ささやかな愛情のやりとりをすることに、気を紛らすのであつた。半年前から知り合ひになつた近所の新婚の無邪気な夫妻もたまらなく好意が持てたので、順一が五日市の方へ出掛けて行つて留守の夜など、康子はこの二人を招待して、どら焼を拵へた。燈火管制の下で、明日をも知れない脅威のなかで、これは飯事遊のやうに娯しい一ときであつた。

 ……本家の台所を預かるやうになつてからは、甥の中学生も「姉さん、姉さん」とよく懐いた。二人のうち小さい方は母親にくつついて五日市町へ行つたが、煙草の味も覚えはじめた、上の方の中学生は盛場の夜の魅力に惹かれてか、やはり、ここに踏みとどまつてゐた。夕方、三菱工場から戻つて来ると、早速彼は台所をのぞく。すると、戸棚には蒸パンやドウナツが、彼の気に入るやうにいつも目さきを変へて、拵へてあつた。腹一杯、夕食を食べると、のそりと暗い往来へ出掛けて行き、それから戻つて来ると一風呂浴びて汗をながす。暢気さうに湯のなかで大声で歌つてゐる節まはしは、すつかり職工気どりであつた。まだ、顔は子供つぽかつたが、躯は壮丁なみに発達してゐた。康子は甥の歌声をきくと、いつもくすくす笑ふのだつた。……餡を入れた饅頭を拵へ、晩酌の後出すと、順一はひどく賞めてくれる。青いワイシヤツを着て若返つたつもりの順一は、「肥つたではないか、ホホウ、日々に肥つてゆくぞ」と機嫌よく冗談を云ふことがあつた。実際、康子は下腹の方が出張つて、顔はいつのまにか廿代の艶を湛へてゐた。だが、週に一度位は五日市町の方から嫂が戻つて来た。派手なモンペを着た高子は香料のにほひを撒きちらしながら、それとなく康子の遣口を監視に来るやうであつた。さういふとき警報が出ると、すぐこの高子は顔を顰めるのであつたが、解除になると、「さあ、また警報が出るとうるさいから帰りませう」とそそくさと立去るのだつた。

 ……康子が夕餉の支度にとりかかる頃には大概、次兄の清二がやつて来る。疎開学童から来たといつて、嬉しさうにハガキを見せることもあつた。が、時々、清二は、「ふらふらだ」とか「目眩がする」と訴へるやうになつた。顔に生気がなく、焦燥の色が目だつた。康子が握飯を差出すと、彼は黙つてうまさうにパクついた。それから、この家の忙しい疎開振りを眺めて、「ついでに石燈籠も植木もみんな持つて行くといい」など嗤ふのであつた。

 前から康子は土蔵の中に放りぱなしになつてゐる箪笥や鏡台が気に懸つてゐた。「この鏡台は枠つくらすといい」と順一も云つてくれた程だし、一こと彼が西崎に命じてくれれば直ぐ解決するのだつたが、己の疎開にかまけてゐる順一は、もうそんなことは忘れたやうな顔つきだつた。直接、西崎に頼むのはどうも気がひけた。高子の命令なら無条件に従ふ西崎も康子のことになると、とかく渋るやうにおもへた。……その朝、康子は事務室から釘抜を持つて土蔵の方へやつて来た順一の姿を注意してみると、その顔は穏かに凪いでゐたので、頼むならこの時とおもつて、早速、鏡台のことを持ちかけた。

「鏡台?」と順一は無感動に呟いた。

「ええ、あれだけでも速く疎開させておきたいの」と康子はとり縋るやうに兄の眸を視つめた。と、兄の視線はちらと脇へ外らされた。

「あんな、がらくた、どうなるのだ」さういふと順一はくるりとそつぽを向いて行つてしまつた。はじめ、康子はすとんと空虚のなかに投げ出されたやうな気持であつた。それから、つぎつぎに憤りが揺れ、もう凝としてゐられなかつた。がらくたといつても、度重なる移動のためにあんな風になつたので、彼女が結婚する時まだ生きてゐた母親がみたててくれた記念の品であつた。自分のものになると箒一本にまで愛着する順一が、この切ない、ひとの気持は分つてくれないのだらうか。……彼女はまたあの晩の怕い順一の顔つきを想ひ浮かべてゐた。

 それは高子が五日市町に疎開する手筈のできかかつた頃のことであつた。妻のかはりに妹をこの家に移し一切を切廻さすことにすると、順一は主張するのであつたが、康子はなかなか承諾しなかつた。一つには身勝手な嫂に対するあてこすりもあつたが、加計町の方へ疎開した子供のことも気になり、一そのこと保姆になつて其処へ行つてしまはうかとも思ひ惑つた。嫂と順一とは康子をめぐつて宥めたり賺せたりしようとするのであつたが、もう夜も更けかかつてゐた。

「どうしても承諾してくれないのか」と順一は屹となつてたづねた。

「ええ、やつぱし広島は危険だし、一そのこと加計町の方へ……」と、康子は同じことを繰返した。突然、順一は長火鉢の側にあつたネーブルの皮を掴むと、向の壁へピシヤリと擲げつけた。狂暴な空気がさつと漲つた。

「まあ、まあ、もう一ぺん明日までよく考へてみて下さい」と嫂はとりなすやうに言葉を挿んだが、結局、康子はその夜のうちに承諾してしまつたのであつた。……暫く康子は眼もとがくらくらするやうな状態で家のうちをあてもなく歩き廻つてゐたが、何時の間にか階段を昇ると二階の正三の部屋に来てゐた。そこには、朝つぱらからひとり引籠つて靴下の修繕をしてゐる正三の姿があつた。順一のことを一気に喋り了ると、はじめて泪があふれ流れた。そして、いくらか気持が落着くやうであつた。正三は憂はしげにただ黙々としてゐた。

 

 点呼が了つてからの正三は、自分でもどうにもならぬ虚無感に陥りがちであつた。その頃、用事もあまりなかつたし、事務室へも滅多に姿を現さなくなつてゐた。たまに出て来れば、新聞を読むためであつた。ドイツは既に無条件降伏をしていたが、今この国では本土決戦が叫ばれ、築城などといふ言葉が見えはじめてゐた。正三は社説の裏に何か真相のにほひを嗅ぎとらうとした。しかし、どうかすると、二日も三日も新聞が読めないことがあつた。これまで順一の卓上に置かれてゐた筈のものが、どういふものか何処かに匿されてゐた。

 絶えず何かに追ひつめられてゆくやうな気持でゐながら、だらけてゆくものをどうにも出来ず、正三は自らを持てあますやうに、ぶらぶらと広い家のうちを歩き廻ることが多かつた。……昼時になると、女生徒が台所の方へお茶を取りに来る。すると、黒板の塀一重を隔てて、工場の露路の方でいま作業から解放された学徒たちの賑やかな声がきこえる。正三がこちらの食堂の縁側に腰を下ろし、すぐ足もとの小さな池に憂鬱な目ざしを落してゐると、工場の方では学徒たちの体操が始まり、一、二、一、二と級長の晴れやかな号令がきこえる。そのやさしい弾みをもつた少女の声だけが、奇妙に正三の心を慰めてくれるやうであつた。……三時頃になると、彼はふと思ひついたやうに、二階の自分の部屋に帰り、靴下の修繕をした。すると、庭を隔てて、向の事務室の二階では、せつせつと立働いてゐる女工たちの姿が見え、モーターミシンの廻転する音響もここまできこえて来る。正三は針のめどに指先を惑はしながら、「これを穿いて逃げる時」とそんな念想が閃めくのであつた。

 ……それから日没の街を憮然と歩いてゐる彼の姿がよく見かけられた。街はつぎつぎに建ものが取払はれてゆくので、思ひがけぬところに広場がのぞき、粗末な土の壕が蹲つてゐた。滅多に電車も通らないだだ広い路を曲ると、川に添つた堤に出て、崩された土塀のほとりに、無花果の葉が重苦しく茂つてゐる。薄暗くなつたまま容易に夜に溶け込まない空間は、どろんとした湿気が溢れて、正三はまるで見知らぬ土地を歩いてゐるやうな気持がするのであつた。……だが、彼の足はその堤を通りすぎると、京橋の袂へ出、それから更に川に添つた堤を歩いてゆく。清二の家の門口まで来かかると、路傍で遊んでゐた姪がまづ声をかけ、つづいて一年生の甥がすばやく飛びついてくる。甥はぐいぐい彼の手を引張り、固い小さな爪で、正三の手首を抓るのであつた。

 その頃、正三は持逃げ用の雑嚢を欲しいとおもひだした。警報の度毎に彼は風呂敷包を持歩いてゐたが、兄たちは立派なリユツクを持つてゐたし、康子は肩からさげるカバンを拵へてゐた。布地さへあればいつでも縫つてあげると康子は請合つた。そこで、正三は順一に話を持かけると、「カバンにする布地?」と順一は呟いて、そんなものがあるのか無いのか曖昧な顔つきであつた。そのうちには出してくれるのかと待つてゐたが一向はつきりしないので、正三はまた順一に催促してみた。すると、順一は意地悪さうに笑ひながら、「そんなものは要らないよ。担いで逃げたいのだつたら、そこに吊してあるリユツクのうち、どれでもいいから持つて逃げてくれ」と云ふのであつた。そのカバンは重要書類とほんの身につける品だけを容れるためなのだと、正三がいくら説明しても、順一はとりあつてくれなかつた。……「ふーん」と正三は大きな溜息をついた。彼には順一の心理がどうも把めないのであつた。「拗ねてやるといいのよ。わたしなんか泣いたりして困らしてやる」と、康子は順一の操縦法を説明してくれた。鏡台の件にしても、その後けろりとして順一は疎開させてくれたのであつた。だが、正三にはじわじわした駈引は出来なかつた。……彼は清二の家へ行つてカバンのことを話した。すると清二は恰度いい布地を取出し、「これ位あつたら作れるだらう。米一斗といふところだが、何かよこすか」といふのであつた。布地を手に入れると正三は康子にカバンの製作を頼んだ。すると、妹は、「逃げることばかり考へてどうするの」と、これもまた意地のわるいことを云ふのであつた。

 

 四月三十日に爆撃があつたきり、その後ここの街はまだ空襲を受けなかつた。随つて街の疎開にも緩急があり、人心も緊張と弛緩が絶えず交替してゐた。警報は殆ど連夜出たが、それは機雷投下ときまつてゐたので、森製作所でも監視当番制を廃止してしまつた。だが、本土決戦の気配は次第にもう濃厚になつてゐた。

「畑元帥が広島に来てゐるぞ」と、ある日、清二は事務室で正三に云つた。「東練兵場に築城本部がある。広島が最後の牙城になるらしいぞ」さういふことを語る清二は――多少の懐疑も持ちながら――正三にくらべると、決戦の心組に気負つてゐる風にもみえた。……「畑元帥がのう」と、上田も間のびした口調で云つた。「ありやあ、二葉の里で、毎日二つづつ大きな饅頭を食べてんださうな」……夕刻、事務室のラジオは京浜地区にB29五百機来襲を報じてゐた。顰面して聴いていた三津井老人は、

「へーえ、五百機!……」

 と思はず驚嘆の声をあげた。すると、皆はくすくす笑ひ出すのであつた。

 ……ある日、東警察署の二階では、市内の工場主を集めて何か訓示が行はれてゐた。代理で出掛けて来た正三は、かういふ席にははじめてであつたが、興もなさげにひとり勝手なことを考へてゐた。が、そのうちにふと気がつくと、弁士が入替つて、いま体躯堂々たる巡査が喋りださうとするところであつた。正三はその風采にちよつと興味を感じはじめた。体格といひ、顔つきといひ、いかにも典型的な警察官といふところがあつた。「ええ、これから防空演習の件について、いささか申し上げます」と、その声はまた明朗闊達であつた。……おやおや、全国の都市がいま弾雨の下に晒されてゐる時、ここでは演習をやるといふのかしら、と正三は怪しみながら耳を傾けた。

「ええ、御承知の通り現在、我が広島市へは東京をはじめ、名古屋、或は大阪、神戸方面から、つまり各方面の罹災者が続々と相次いで流込んでをります。それらの罹災者が我が市民諸君に語るところは何であるかと申しますと、『いやはや、空襲は怕かつた怕かつた。何でもかんでも速く逃げ出すに限る』と、ほざくのであります。しかし、畢竟するに彼等は防空上の惨敗者であり、憐むべき愚民であります。自ら恃むところ厚き我々は決して彼等の言に耳傾けてはならないのであります。なるほど戦局は苛烈であり、空襲は激化の一路にあります。だが、いかなる危険といへども、それに対する確乎たる防備さへあれば、いささかも怖るには足りないのであります」

 さう云ひながら、彼はくるりと黒板の方へ対いて、今度は図示に依つて、実際的の説明に入つた。……その聊かも不安もなさげな、彼の話をきいてゐると、実際、空襲は簡単明瞭な事柄であり、同時に人の命もまた単純明確な物理的作用の下にあるだけのことのやうにおもへた。珍しい男だな、と正三は考へた。だが、このやうな好漢ロボツトなら、いま日本にはいくらでもゐるにちがひない。

 

 順一は手ぶらで五日市町の方へ出向くことはなく、いつもリユツクにこまごました疎開の品を詰込み、夕食後ひとりいそいそと出掛けて行くのであつたが、ある時、正三に「万一の場合知つてゐてくれぬと困るから、これから一緒に行かう」と誘つた。小さな荷物持たされて、正三は順一と一緒に電車の停留場へ赴いた。己斐行はなかなかやつて来ず、正三は広々とした道路のはてに目をやつてゐた。が、そのうちに、建物の向にはつきりと呉娑娑宇山がうづくまつてゐる姿がうつつた。

 それは今、夏の夕暮の水蒸気を含んで鮮かに生動してゐた。その山に連らなるほかの山々もいつもは仮睡の淡い姿しか示さないのに、今日はおそろしく精気に満ちてゐた。底知れない姿の中を雲がゆるゆると流れた。すると、今にも山々は揺れ動き、叫びあはうとするやうであつた。ふしぎな光景であつた。ふと、この街をめぐる、或る大きなものの構図が、このとき正三の目に描かれて来だした。……清冽な河川をいくつか乗越え、電車が市外に出てからも、正三の眼は窓の外の風景に喰入つてゐた。その沿線はむかし海水浴客で賑はつたので、今も窓から吹き込む風がふとなつかしい記憶のにほひを齎らしたりした。が、さきほどから正三をおどろかしてゐる中国山脈の表情はなほも衰へなかつた。暮れかかつた空に山々はいよいよあざやかな緑を投出し、瀬戸内海の島影もくつきりと浮上がつた。波が、青い穏かな波が、無限の嵐にあふられて、今にも狂ひまはりさうに想へた。

 

 正三の眼には、いつも見馴れてゐる日本地図が浮んだ。広袤はてしない太平洋のはてに、はじめ日本列島は小さな点々として映る。マリアナ基地を飛立つたB29の編隊が、雲の裏を縫つて星のやうに流れてゆく。日本列島がぐんとこちらに引寄せられる。八丈島の上で二つに岐れた編隊の一つは、まつすぐ富士山の方に向かひ、他は、熊野灘に添つて紀伊水道の方へ進む。が、その編隊から、いま一機がふわりと離れると、室戸崎を越えて、ぐんぐん土佐湾に向つてゆく。……青い平原の上に泡立ち群がる山脈が見えてくるが、その峰を飛越えると、鏡のやうに静まつた瀬戸内海だ。一機はその鏡面に散布する島々を点検しながら、悠然と広島湾上を舞つてゐる。強すぎる真昼の光線で、中国山脈も湾口に臨む一塊の都市も薄紫の朧である。……が、そのうちに、宇品港の輪郭がはつきりと見え、そこから広島市の全貌が一目に瞰下される。山峡にそつて流れてゐる太田川が、この街の入口のところで分岐すると、分岐の数は更に増え、街は三角洲の上に拡がつてゐる。街はすぐ背後に低い山々をめぐらし、練兵場の四角形が二つ、大きく白く光つてゐる。だが、近頃その川に区切られた街には、いたるところに、疎開跡の白い空地が出来上つてゐる。これは焼夷弾攻撃に対して鉄壁の陣を敷いたといふのであらうか。……望遠鏡のおもてに、ふと橋梁が現れる。豆粒ほどの人間の群が今も忙しげに動きまはつてゐる。たしか兵隊にちがひない。兵隊、――それが近頃この街のいたるところを占有してゐるらしい。練兵場に蟻の如くうごめく影はもとより、ちよつとした建物のほとりにも、それらしい影が点在する。……サイレンは鳴つたのだらうか。荷車がいくつも街中を動いてをる。街はづれの青田には玩具の汽車がのろのろ走つてゐる。……静かな街よ、さやうなら。B29一機はくるりと舵を換へ悠然と飛去るのであつた。

 琉球列島の戦が終つた頃、隣県の岡山市に大空襲があり、つづいて、六月三十日の深更から七月一日の未明まで、呉市が延焼した。その夜、広島上空を横切る編隊爆音はつぎつぎに市民の耳を脅やかしてゐたが、清二も防空頭巾に眼ばかり光らせながら、森製作所へやつて来た。工場にも事務室にも人影はなく、家の玄関のところに、康子と正三と甥の中学生の三人が蹲つてゐるのだつた。たつたこれだけで、こんな広い場所を防ぐといふのだから、――清二はすぐにそんなことを考へるのであつた。と、表の方で半鐘が鳴り「待避」と叫ぶ声がきこえた。四人はあたふたと庭の壕へ身を潜めた。密雲の空は容易に明けようともせず、爆音はつぎつぎにききとれた。もののかたちがはつきり見えはじめたころ漸く空襲解除となつた。

 ……その平静に返つた街を、ひどく興奮しながら、順一は大急で歩いてゐた。彼は五日市町で一睡もしなかつたし、海を隔てて向にあかあかと燃える火焔を夜どおし眺めたのだつた。うかうかしてはゐられない。火はもう踵に燃えついて来たのだ、――さう呟きながら、一刻も早く自宅に駈けつけようとした。電車はその朝も容易にやつて来ず、乗客はみんな茫とした顔つきであつた。順一が事務室に現れたのは、朝の陽も大分高くなつてゐた頃であつたが、ここにも茫とした顔つきの睡むさうな人々ばかりと出逢つた。

「うかうかしてゐる時ではない。早速、工場は疎開させる」

 順一は清二の顔を見ると、すぐにさう宣告した。ミシンの取りはづし、荷馬車の下附を県庁へ申請すること、家財の再整理、――順一にはまた急な用件が山積した。相談相手の清二は、しかし、末節に疑義を挿むばかりで、一向てきぱきしたところがなかつた。順一はピシピシと鞭を振ひたいおもひに燃立つのだつた。

 

 その翌々日、こんどは広島の大空襲だといふ噂がパツと拡がつた。上田が夕刻、糧秣廠からの警告を順一に伝へると、順一は妹を急かして夕食を早目にすまし、正三と康子を顧みて云つた。

「儂はこれから出掛けて行くが、あとはよろしく頼む」

「空襲警報が出たら逃げるつもりだが……」正三が念を押すと順一は頷いた。

「駄目らしかつたらミシンを井戸へ投込んでおいてくれ」

「蔵の扉を塗りつぶしたら……今のうちにやつてしまはうかしら」

 ふと、正三は壮烈な気持が湧いて来た。それから土蔵の前に近づいた。かねて赤土は粘つてあつたが、その土蔵の扉を塗り潰ぶすことは、父の代には遂に一度もなかつたことである。梯子を掛けると、正三はペタペタと白壁の扉の隙間に赤土をねぢ込んで行つた。それが終つた頃順一の姿はもうそこには見えなかつた。正三は気になるので、清二の家に立寄つてみた。「今夜が危いさうだが……」正三が云ふと、「ええ、それがその秘密なのだけど近所の児島さんもそんなことを夕方役所からきいて帰り……」と、何か一生懸命、袋にものを詰めながら光子はだらだらと弁じだした。

 一とほり用意も出来て、階下の六畳、――その頃正三は階下で寝るやうになつてゐた、――の蚊帳にもぐり込んだ時であつた。ラジオが土佐沖海面警戒警報を告げた。正三は蚊帳の中で耳を澄ました。高知県、愛媛県が警戒警報になり、つづいてそれは空襲警報に移つてゐた。正三は蚊帳の外に匐ひ出すと、ゲートルを捲いた。それから雑嚢と水筒を肩に交錯させると、その上をバンドで締めた。玄関で靴を探し、最後に手袋を嵌めた時、サイレンが警戒警報を放つた。彼はとつとと表へ飛び出すと、清二の家の方へ急いだ。暗闇のなかを固い靴底に抵抗するアスフアルトがあつた。正三はぴんと立つてうまく歩いてゐる己の脚を意識した。清二の家の門は開け放たれてゐた。玄関の戸をいくら叩いても何の手ごたへもない。既に逃げ去つた後らしかつた。正三はあたふたと堤の路を突きつて栄橋の方へ進んだ。橋の近くまで来た時、サイレンは空襲を唸りだすのであつた。

 夢中で橋を渡ると、饒津公園裏の土手を廻り、いつの間にか彼は牛田方面へ向かふ堤まで来てゐた。この頃、漸く正三は彼のすぐ周囲をぞろぞろと犇いてゐる人の群に気づいてゐた。それは老若男女、あらゆる市民の必死のいでたちであつた。鍋釜を満載したリヤカーや、老母を載せた乳母車が、雑沓のなかを掻きわけて行く。軍用犬に自転車を牽かせながら、颯爽と鉄兜を被つてゐる男、杖にとり縋り跛をひいてゐる老人。トラツクが来た。馬が通る。薄闇の狭い路上がいま祭日のやうに賑はつてゐるのだつた。……正三は樹蔭の水槽の傍にある材木の上に腰を下ろした。

「この辺なら大丈夫でせうか」と通りがかりの老婆が訊ねた。

「大丈夫でせう、川もすぐ前だし、近くに家もないし」さういつて彼は水筒の栓を捻つた。いま広島の街の空は茫と白んで、それはもういつ火の手があがるかもしれないやうにおもへた。街が全焼してしまつたら、明日から己はどうなるのだらう、さう思ひながらも、正三は目の前の避難民の行衛に興味を感じるのであつた。『ヘルマンとドロテア』のはじめに出て来る避難民の光景が浮んだ。だが、それに較べると何とこれは怕しく空白な情景なのだらう。……暫くすると、空襲警報が解除になり、つづいて警戒警報も解かれた。人々はぞろぞろと堤の路を引上げて行く。正三もその路をひとりひきかへして行つた。路は来た折よりも更に雑沓してゐた。何か喚きながら、担架が相次いでやつて来る。病人を運ぶ看護人たちであつた。

 

 空から撒布されたビラは空襲の切迫を警告してゐたし、脅えた市民は、その頃、日没と同時にぞろぞろと避難行動を開始した。まだ何の警報もないのに、川の上流や、郊外の広場や、山の麓は、さうした人々で一杯になり、叢では、蚊帳や、夜具や、炊事道具さへ持出された。朝昼なしに混雑する宮島線の電車は、夕刻になると更に殺気立つ。だが、かうした自然の本能をも、すぐにその筋はきびしく取締りだした。ここでは防空要員の疎開を認めないことは、既に前から規定されてゐたが、今度は防空要員の不在をも監視しようとし、各戸に姓名年齢を記載させた紙を貼り出させた。夜は、橋の袂や辻々に銃剣つきの兵隊や警官が頑張つた。彼等は弱い市民を脅迫して、あくまでこの街を死守させようとするのであつたが、窮鼠の如く追ひつめられた人々は、巧みにまたその裏をくぐつた。夜間、正三が逃げて行く途上あたりを注意してみると、どうも不在らしい家の方が多いのであつた。

 正三もまたあの七月三日の晩から八月五日の晩――それが最終の逃亡だつた――まで、夜間形勢が怪しげになると忽ち逃げ出すのであつた。……土佐沖海面、警戒警報が出るともう身支度に取掛る。高知県、愛媛県に空襲警報が発せられて、広島県、山口県が警戒警報になるのは十分とかからない。ゲートルは暗闇の中でもすぐ捲けるが、手拭とか靴篦とかいふ細かなもので正三は鳥渡手間どることがある。が、警戒警報のサイレン迄にはきつと玄関さきで靴をはいてゐる。康子は康子で身支度をととのへ、やはりその頃、玄関さきに来てゐる。二人はあとさきになり、門口を出て行くのであつた。……ある町角を曲り、十歩ばかり行くと正三はもう鳴りだすぞとおもふ。はたして、空襲警報のものものしいサイレンが八方の闇から喚きあふ。おお、何といふ、高低さまざまの、いやな唸り声だ。これは傷いた獣の慟哭とでもいふのであらうか。後の歴史家はこれを何と形容するだらうか。――そんな感想や、それから、……それにしても昔、この自分は街にやつて来る獅子の笛を遠方からきいただけでも真青になつて逃げて行つたが、あの頃の恐怖の純粋さと、この今の恐怖とでは、どうも今では恐怖までが何か鈍重な枠に嵌めこまれてゐる。――そんな念想が正三の頭に浮かぶのも数秒で、彼は息せききらせて、堤に出る石段を昇つてゐる。清二の家の門口に駈けつけると、一家揃つて支度を了へてゐることもあつたが、まだ何の身支度もしてゐないこともあつた。正三がここへ現れるのと前後して康子は康子でそこへ駈けつけて来る。……「ここの紐結んで頂戴」と小さな姪が正三に頭巾を差出す。彼はその紐をかたく結んでやると、くるりと姪を背に背負ひ、皆より一足さきに門口を出て行く。栄橋を渡つてしまふと、とにかく吻として足どりも少し緩くなる。鉄道の踏切を越え、饒津の堤に出ると、正三は背負つていた姪を叢に下ろす。川の水は仄白く、杉の大木は黒い影を路に投げてゐる。この小さな姪はこの景色を記憶するであらうか。幼い日々が夜毎、夜毎の逃亡にはじまる「ある女の生涯」といふ小説が、ふと、汗まみれの正三の頭には浮ぶのであつた。……暫くすると、清二の一家がやつて来る。嫂は赤ん坊を背負ひ、女中は何か荷を抱へてゐる。康子は小さな甥の手をひいて、とつとと先頭にゐる。(彼女はひとりで逃げてゐると、警防団につかまりひどく叱られたことがあるので、それ以来この甥を貸りるやうになつた。)清二と中学生の甥は並んで後からやつて来る。それから、その辺の人家のラジオに耳を傾けながら、情勢次第によつては更に川上に溯つてゆくのだ。長い堤をづんづん行くと、人家も疏らになり、田の面や山麓が朧に見えて来る。すると、蛙の啼声が今あたり一めんにきこえて来る。ひつそりとした夜陰のなかを逃げのびてゆく人影はやはり絶えない。いつのまにか夜が明けて、おびただしいガスが帰路一めんに立罩めてゐることもあつた。

 時には正三は単独で逃亡することもあつた。彼は一ヶ月前から在郷軍人の訓練に時折、引ぱり出されてゐたが、はじめ頃廿人あまり集合してゐた同類も、次第に数を減じ、今では四五名にすぎなかつた。「いづれ八月には大召集がかかる」と分会長はいつた。はるか宇品の方の空では探照燈が揺れ動いてゐる夕闇の校庭に立たされて、予備少尉の話をきかされてゐる時、正三は気もそぞろであつた。訓練が了へて、家へ戻つたかとおもふと、サイレンが鳴りだすのだつた。だが、つづいて空襲警報が鳴りだす頃には、正三はぴちんと身支度を了へてゐる。あわただしい訓練のつづきのやうに、彼は闇の往来へ飛出すのだ。それから、かつかと鳴る靴音をききながら、彼は帰宅を急いでゐる者のやうな風を粧ふ。橋の関所を無事に通越すと、やがて饒津裏の堤へ来る。……ここではじめて、正三は立留まり、叢に腰を下ろすのであつた。すぐ川下の方には鉄橋があり、水の退いた川には白い砂洲が朧に浮上つてゐる。それは少年の頃からよく散歩して見憶えてゐる景色だが、正三には、頭上にかぶさる星空が、ふと野戦のありさまを想像さすのだつた。『戦争と平和』に出て来る、ある人物の眼に映じる美しい大自然のながめ、静まりかへつた心境、――さういつたものが、この己の死際にも、はたして訪れて来るだらうか。すると、ふと正三の蹲つてゐる叢のすぐ上の杉の梢の方で、何か微妙な啼声がした。おや、ほととぎすだな、さうおもひながら正三は何となく不思議な気持がした。この戦争が本土決戦に移り、もしも広島が最後の牙城となるとしたら、その時、己は決然と命を捨てて戦ふことができるであらうか。……だが、この街が最後の楯になるなぞ、なんといふ狂気以上の妄想だらう。仮りにこれを叙事詩にするとしたら、最も矮小で陰惨かぎりないものになるに相違ない。……だが、正三はやはり頭上に被さる見えないものの羽撃を、すぐ身近かにきくやうなおもひがするのであつた。

 

 警報が解除になり、清二の家までみんな引返しても、正三はそこの玄関で暫くラジオをきいてゐることがあつた。どうかすると、また逃げださなければならぬので、甥も姪もまだ靴のままでゐる。だが、大人達がラジオに気をとられてゐるうち、さきほどまで声のしてゐた甥が、いつのまにか玄関の石の上に手足を投出し、大鼾で睡つてゐることがあつた。この起伏常なき生活に馴れてしまつたらしい子供は、まるで兵士のやうな鼾をかいてゐる。(この姿を正三は何気なく眺めたのであつたが、それがやがて、兵士のやうな死に方をするとはおもへなかつた。まだ一年生の甥は集団疎開へも参加出来ず、時たま国民学校へ通つてゐた。八月六日も恰度、学校へ行く日で、その朝、西練兵場の近くで、この子供はあへなき最後を遂げたのだつた。)

 ……暫く待つてゐても別状ないことがわかると、康子がさきに帰つて行き、つづいて正三も清二の門口を出て行く。だが、本家に戻つて来ると、二枚重ねて着てゐる服は汗でビツシヨリしてゐるし、シヤツも靴下も一刻も早く脱捨ててしまひたい。風呂場で水を浴び、台所の椅子に腰を下ろすと、はじめて正三は人心地にかへるやうであつた。――今夜の巻も終つた。だが、明晩は――。その明晩も、かならず土佐沖海面から始まる。すると、ゲートルだ、雑嚢だ、靴だ、すべての用意が闇のなかから飛ついて来るし、逃亡の路は正確に横はつてゐた。……(このことを後になつて回想すると、正三はその頃比較的健康でもあつたが、よくもあんなに敏捷に振舞へたものだと思へるのであつた。人は生涯に於いてかならず意外な時期を持つものであらうか)。

 

 森製作所の工場疎開はのろのろと行はれてゐた。ミシンの取はづしは出来てゐても、馬車の割当が廻つて来るのが容易でなかつた。馬車がやつて来た朝は、みんな運搬に急がしく、順一はとくに活気づいた。ある時、座敷に敷かれてゐた畳がそつくり、この馬車で運ばれて行つた。畳の剥がれた座敷は、坐板だけで広々とし、ソフアが一脚ぽつんと置かれてゐた。かうなると、いよいよこの家も最後が近いやうな気がしたが、正三は縁側に佇んで、よく庭の隅の白い花を眺めた。それは梅雨頃から咲きはじめて、一つが朽ちかかる頃には一つが咲き、今も六瓣の、ひつそりとした姿を湛へてゐるのだつた。次兄にその名称を訊くと、梔子だといつた。さういへば子供の頃から見なれた花だが、ひつそりとした姿が今はたまらなく懐しかつた。……

「コレマデナンド クウシウケイホウニアツタカシレナイ イマモ カイガンノホウガ アカアカトモエテヰル ケイホウガデルタビニ オレハゲンコウヲカカヘテ ゴウニモグリコムコノゴロ オレハ コウトウスウガクノケンキユウヲシテヰルノダ スウガクハウツクシイ ニホンノゲイジユツカハ コレガワカラヌカラダメサ」こんな風な手紙が東京の友人から久振りに正三の手許に届いた。岩手県の方にゐる友からはこの頃、便りがなかつた。釜石が艦砲射撃に遇ひ、あの辺ももう安全ではなささうであつた。

 ある朝、正三が事務室にゐると、近所の会社に勤めてゐる大谷がやつて来た。彼は高子の身内の一人で、順一たちの紛争の頃から、よくここへ立寄るので、正三にももう珍しい顔ではなかつた。細い脛に黒いゲートルを捲き、ひよろひよろの胴と細長い面は、何か危なかしい印象をあたへるのだが、それを支へようとする気魄も備はつてゐた。その大谷は順一のテーブルの前につかつかと近よると、

「どうです、広島は。昨夜もまさにやつて来るかと思ふと、宇部の方へ外れてしまつた。敵もよく知つてゐるよ、宇部には重要工場がありますからな。それに較べると、どうも広島なんか兵隊がゐるだけで、工業的見地から云はすと殆ど問題ではないからね。きつと大丈夫ここは助かると僕はこの頃思ひだしたよ」と、大そう上機嫌で弁じるのであつた。(この大谷は八月六日の朝、出勤の途上遂に行衛不明になったのである)。

 ……だが、広島が助かるかもしれないと思ひだした人間は、この大谷ひとりではなかつた。一時はあれほど殷賑をきはめた夜の逃亡も、次第に人足が減じて来たのである。そこへもつて来て、小型機の来襲が数回あつたが、白昼、広島上空をよこぎるその大群は、何らこの街に投弾することがなかつたばかりか、たまたま西練兵場の高射砲は中型一機を射落したのであつた。「広島は防げるでせうね」と電車のなかの一市民が将校に対つて話しかけると、将校は黙々と肯くのであつた。……「あ、面白かつた。あんな空中戦たら滅多に見られないのに」と康子は正三に云つた。正三は畳のない座敷で、ジイドの『一粒の麦もし死なずば』を読み耽けつてゐるのであつた。アフリカの灼熱のなかに展開される、青春と自我の、妖しげな図が、いつまでも彼の頭にこびりついてゐた。

 

 清二はこの街全体が助かるとも考へなかつたが、川端に臨んだ自分の家は焼けないで欲しいといつも祈つてゐた。三次町に疎開した二人の子供が無事でこの家に戻つて来て、みんなでまた河遊びができる日を夢みるのであつた。だが、さういふ日が何時やつてくるのか、つきつめて考へれば茫としてわからないのだつた。

「小さい子供だけでも、どこかへ疎開させたら……」と康子は夜毎の逃亡以来、頻りに気を揉むやうになつてゐた。「早く何とかして下さい」と妻の光子もその頃になると疎開を口にするのであつたが、「おまえ行つてきめて来い」と、清二は頗る不機嫌であつた。女房、子供を疎開させて、この自分は――順一のやうに何もかもうまく行くではなし――この家でどうして暮してゆけるのか、まるで見当がつかなかつた。何処か田舎へ家を借りて家財だけでも運んでおきたい、そんな相談なら前から妻としてゐた。だが、田舎の何処にそんな家がみつかるのか、清二にはまるであてがなかつた。この頃になると、清二は長兄の行動をかれこれ、あてこすらないかはりに、じつと怨めしげに、ひとり考へこむのであつた。

 順一もしかし清二の一家を見捨ててはおけなくなつた。結局、順一の肝煎で、田舎へ一軒、家を貸りることが出来た。が、荷を運ぶ馬車はすぐには傭へなかつた。田舎へ家が見つかつたとなると、清二は吻として、荷造に忙殺されてゐた。すると、三次の方の集団疎開地の先生から、父兄の面会日を通知して来た。三次の方へ訪ねて行くとなれば、冬物一切を持つて行つてやりたいし、疎開の荷造やら、学童へ持つて行つてやる品の準備で、家のうちはまたごつたかへした。それに清二は妙な癖があつて、学童へ持つて行つてやる品々には、きちんと毛筆で名前を記入しておいてやらぬと気が済まないのだつた。

 あれをかたづけたり、これをとりちらかしたりした揚句、夕方になると清二はふいと気をかへて、釣竿を持つて、すぐ前の川原に出た。この頃あまり釣れないのであるが、糸を垂れてゐると、一番気が落着くやうであつた。……ふと、トツトトツトといふ川のどよめきに清二はびつくりしたやうに眼をみひらいた。何か川をみつめながら、さきほどから夢をみてゐたやうな気持がする。それも昔読んだ旧約聖書の天変地異の光景をうつらうつらたどつてゐたやうである。すると、崖の上の家の方から、「お父さん、お父さん」と大声で光子の呼ぶ姿が見えた。清二が釣竿をかかへて石段を昇つて行くと、妻はだしぬけに、

「疎開よ」と云つた。

「それがどうした」と清二は何のことかわからないので問ひかへした。

「さつき大川がやつて来て、そう云つたのですよ、三日以内に立退かねばすぐにこの家とり壊されてしまひます」

「ふーん」と清二は呻いたが、「それで、おまえは承諾したのか」

「だからさう云っているのぢやありませんか。何とかしなきや大変ですよ。この前、大川に逢つた時には、お宅はこの計画の区域に這入りませんと、ちやんと図面みせながら説明してくれた癖に、こんどは藪から棒に、二〇メートルごとの規定ですと来るのです」

「満洲ゴロに一杯喰はされたか」

「口惜しいではありませんか。何とかしなきや大変ですよ」と、光子は苛々しだす。

「おまえ行つてきめてこい」そう清二は嘯いたが、ぐづぐづしてゐる場合でもなかつた。「本家へ行かう」と、二人はそれから間もなく順一の家を訪れた。しかし、順一はその晩も既に五日市町の方へ出かけたあとであつた。市外電話で順一を呼出さうとすると、どうしたものか、その夜は一向、電話が通じない。光子は康子をとらへて、また大川のやり口をだらだらと罵りだす。それをきいてゐると、清二は三日後にとり壊される家の姿が胸につまり、今はもう絶体絶命の気持だつた。

「どうか神様三日以内にこの広島が大空襲をうけますやうに」

 若い頃クリスチヤンであつた清二は、ふと口をひらくとこんな祈をささげたのであつた。

 

 その翌朝、清二の妻は事務室に順一を訪れて、疎開のことをだらだらと訴へ、建物疎開のことは市会議員の田崎が本家本元らしいのだから、田崎の方へ何とか頼んでもらひたいといふのであつた。

 フン、フンと順一は聴いてゐたが、やがて、五日市へ電話をかけると、高子にすぐ帰つてこいと命じた。それから、清二を顧みて、「何て有様だ。お宅は建物疎開ですといはれて、ハイさうですか、と、なすがままにされてゐるのか。空襲で焼かれた分なら、保険がもらへるが、疎開でとりはらはれた家は、保険金だつてつかないぢやないか」と、苦情云ふのであつた。

 そのうち暫くすると、高子がやつて来た。高子はことのなりゆきを一とほり聴いてから、「じやあ、ちよつと田崎さんのところへ行つて来ませう」と、気軽に出かけて行つた。一時間もたたぬうちに、高子は晴れ晴れした顔で戻つて来た。

「あの辺の建物疎開はあれで打切ることにさせると、田崎さんは約束してくれました」

 かうして、清二の家の難題もすらすら解決した。と、その時、恰度、警戒警報が解除になつた。

「さあ、また警報が出るとうるさいから今のうちに帰りませう」と高子は急いで外に出て行くのであつた。

 暫くすると、土蔵脇の鶏小屋で、二羽の雛がてんでに時を告げだした。その調子はまだ整つてゐないので、時に順一たちを興がらせるのであつたが、今は誰も鶏の啼声に耳を傾けてゐるものもなかつた。暑い陽光が、百日紅の上の、静かな空に漲つてゐた。……原子爆弾がこの街を訪れるまでには、まだ四十時間あまりあつた。