『夏の花』は、被爆直後にしたためられていた原民喜の『原爆被災時の手帖』をもとに、1945年11月までの数ヶ月の間に広島県佐伯郡八幡村(現在の広島市佐伯区東部)の疎開先で執筆された。原題は『原子爆弾』であった。
当初は『近代文学』創刊号に掲載される予定であったが、GHQによるプレスコードの中で、検閲を考慮し、1947年6月号の『三田文学』に発表された。また原の承諾の上で、被爆者の描写などいくつかの箇所について削除がなされ、題名も一見戦争とは関連性が薄い『夏の花』と改められた。発表後、1948年の第1回水上滝太郎賞を受賞した。
この作品に続いて発表された『廃墟から』『壊滅の序曲』の2作品とあわせて、『夏の花三部作』と呼ばれている。